9573 プーチン氏と信頼関係がある森元首相の訪ロ  古沢襄

冬眠状態だった日ロ関係が動き出す兆しがみえる。野田首相は25日、次期大統領になるプーチン首相と親交が深い森元首相を特使としてロシアに派遣したいという意向を示した。
しかし、これによって四島返還の北方領土問題が解決すると思うのは早トチリであろう。
森氏とプーチン氏は、2001年、森元首相が訪ロしてイルクーツクでプーチン前大統領と会談して北方領土の解決策を話合い、その内容は「イルクーツク声明」で明らかにされた。東郷和彦氏(外務省元欧亜局長)は「戦後の領土交渉は、これまで、5回のチャンスがあったが、特に、イルクーツクでのプーチン・森首脳会談は一番解決に近づいた」と回顧している。
森氏の腹は「歯舞、色丹両島を先行して返還して、国後、択捉両島は継続交渉」ということにある。しかし日ロ双方の国内事情から、その後の日ロ交渉が進展せず、鳩山政権、菅政権で後退した事実がある。一方、ロシア側は民主党政権に日ロ関係改善の意欲がないとみて、メドベージェフ大統領が北方四島のロシア化・軍事力強化に動いた。
この間の経緯は2011年4月と2012年3月で拙稿で明らかにしてきたつもりである。プーチン氏は「イルクーツク声明」から一歩進んだ解決案を考慮しているフシがある。信頼関係がある森氏にどれだけ本音の交渉をするのか、森氏も頑な四島即時返還に拘らない交渉をするのか、日ロ関係の友好・親善のために冬の時代から雪解けへ向かうチャンスが来たと思っている。
■首相 森元首相をロシア派遣へ
4月25日 16時21分 K10047103911_1204251615_1204251617
野田総理大臣は、新党大地の鈴木宗男代表と会談し、北方領土問題の解決に向け、道筋を探るため、ロシアの次期大統領のプーチン首相と親交が深い、森元総理大臣をロシアに派遣したいという意向を示し、近く調整に入る考えを伝えました。
この中で、鈴木代表は「プーチン首相が、来月上旬に正式に大統領に就任し、日ロ関係も新たな時代に入る。それに合わせて日本としても、プーチン首相と信頼関係のある森元総理大臣に働いてもらうことも必要ではないか」と述べました。
これに対して、野田総理大臣は「日ロ関係は重要であり、新時代を築きたいと考えている。森元総理大臣のことは考えており、ロシア側の理解を得て、来月のサミット=主要国首脳会議の前に出かけていただきたい」と述べ、森氏をロシアに派遣したいという意向を示し、近く調整に入る考えを伝えました。
会談のあと、鈴木代表は記者団に対して「プーチン次期大統領と日本で人間関係をいちばん持っているのは森元総理大臣で、森さんにロシアに出かけてほしいというのが野田総理大臣の話だった」と述べました。(NHKニュース)
■日露の「川奈会談」と「イルクーツク会談」 古沢襄
2011.04.17 Sunday name : kajikablog
北方領土問題をめぐる日露首脳会談で双方の見解が一番近くなったのは、「川奈会談」と「イルクーツク会談」だったといわれる。しかし、この首脳会談はいずれも秘密交渉だったから、記者会見が行われたものの真相は定かでない。
東郷和彦氏(外務省元欧亜局長)は「戦後の領土交渉は、これまで、5回のチャンスがあったが、特に、イルクーツクでのプーチン・森首脳会談は一番解決に近づいた」と回顧している。
イルクーツク会談は2001年、森元首相が訪ロしてイルクーツクでプーチン前大統領と会談して北方領土の解決策を話合った。その内容は「イルクーツク声明」で明らかにされた。
①2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす、としたクラスノヤルスク合意の実現に関する作業が重要な成果をもたらした。
②56年の日ソ共同宣言が条約交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書であることを確認した。
③93年の東京宣言に基づき、四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結する。
④相互に受け入れ可能な解決に達するため、平和条約締結に向けた前進の具体的方向性をあり得べき最も早い時点で決定する。
この声明だけでは「プーチン・森首脳会談は一番解決に近づいた」ことの具体策が窺えない。ただプーチン氏が北方領土の解決について、かなり踏み込んだ姿勢をみせたことだけは知ることが出来る。
河野大使はロシアの対日感情に変化の兆しがみえるので、北方四島の帰属についてロシア側との折衝に力を入れると意欲を示していた。ロシア側も「数百年前にプチャーチンが津波で下田に寄せられた時に、下田の人たちが手厚い保護をして生き残った人たちを船をつくつてロシアに送り返してくれたが、これが日ロの友好の始まりだ。今回は日本が地震や津波で被害を受けたことに援助をし、救助隊を派遣したい」と述べている。
日本に対する救援活動に積極的なのはプーチン首相だという。東郷氏は最近の北方領土交渉を振り返って「06年の安倍晋三政権の成立以来、昨年5月のプーチン首相来日までは、ロシア側は『領土交渉を進めよう』というシグナルを繰り返し出してきた」と指摘。にもかかわらず、麻生太郎首相(当時)が「ロシアが北方領土を不法占拠している」と発言したことが日露関係悪化の発端との認識を示している。
「大統領が『交渉を本当にやろうと真剣に思っているのなら、相手の国民世論を憤慨させるようなことはやめてくれ』と強烈なメッセージを送ったにもかかわらず、(麻生政権の後の)鳩山前政権でも同じ趣旨の答弁書を出した」として、ロシアの態度硬化に拍車をかけたと断定。「ロシア側は日本は交渉する気がないと受け取った」と語り、その後の関係悪化につながったとの見方を示した。
東郷氏は「交渉で領土を取り返す以上、日本政府はロシア側のシグナルを外してはならなかったのに、『やる気がない』と彼らが受け取るメッセージを昨年出してしまい、現在の菅政権に至っても修復の兆しはない」と最近の歴代政権を批判的である。
1998年、静岡県伊東市の川奈ホテルで行われた橋本首相とエリツィン大統領の非公式会談で橋本氏は、北方領土問題の解決に関する秘密提案、いわゆる川奈提案を行った。その時点で、エリツィン氏はこの提案を肯定的に受け止めている。
しかし、あと一息というところで、七月の参議院選挙で自民党が惨敗し、橋本内閣が退陣。ロシア側も八月にロシアが事実上のデフォルト(債務不履行)宣言を行い、経済・社会情勢が混乱して、エリツィン政権の権力基盤が急速に弱体化してしまった。
川奈会談にしてもイルクーツク会談にして、日露首脳の合意の落とし場所は「歯舞、色丹両島を先行して返還して、国後、択捉両島は継続交渉」ということであったろう。その変形として「歯舞、色丹、択捉の三島を返還、国後島は二割返還という3・5島返還」も模索されたというが、あくまで四島返還を求める国内世論をクリアするのは難しいと考えられた。
ここで気になるのはメドベージェフ大統領が北方四島のロシア化で動いていることである。来年の大統領選挙を前して返還に消極的なロシア軍部や外務省を意識しているのだろう。プーチン首相が大統領選挙に出馬するのか分からない。
だがプーチン首相は日本に接近してロシアのアジア進出に活路を開こうとしているのは疑う余地がない。つまりナホトカ港にパイプラインを引いて天然ガスや石油を東アジアに供給して関係を深めようとする戦略だといえる。欧州に対して行った”資源外交”のアジア版といえる。
ロシア側の決め手はやはりプーチン氏にあるのではないか。しかし日本側は外務省を含めて領土交渉では大きく後退したままである。このままでは「北方領土の”ロシア化”だけが進んでいる」ことになりかねない。(杜父魚ブログ)
■プーチン再登場と北方領土返還交渉  古沢襄
2012.03.05 Monday name : kajikablog
【モスクワ時事】ロシア大統領選で当選確実となったプーチン首相は4日夜(日本時間5日未明)、クレムリン前で開かれた支持者の集会で「われわれは勝利した」と宣言した。(時事)
ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン・・・ロシアの最高権力者が再登場。次期大統領の任期は6年となったため、2024年まで大統領職にとどまるから、日本は否応なしにプーチンと向き合わねばならない。
1999年、初めてロシア旅行した私はボリス・エリツィン大統領末期のロシア経済の混乱を目のあたりにした。モスクワではエリツィン一族による汚職やマネーロンダリングの噂が絶えない。ポスト・エリツィンは誰なのか?手当たり次第に聞いて回ったのだが、大方のロシア人は首相だったエフゲニー・プリマコフの名をあげた。プーチンの名をあげたロシア人はいなかった。
だから2000年の大統領選挙でプーチンが登場した時には意外だった。最初の印象はエリツィンの傀儡・プーチンだったから、エリツィンの失政を引き継ぐプーチンは長続きしないと思わざるを得ない。KGB出身、酒もタバコもやらない、柔道家といったプーチンの寸評が入ってきたが、経済破綻に追い込まれているロシア経済を立て直す人物という印象は持てなかった。
二度目のロシア旅行をして、プーチンを見直すことになる。疲弊していたロシアが、プーチンの資源外交で見事に立ち直りをみせていた。KGB出身の暗さが残るが、無策のエリツィンとは違うプーチンにロシア国民は「強いロシア」の再現を夢見ていた。
2000年4月、脳梗塞で倒れて急死した小渕恵三首相の後、森喜朗氏が首相となった。森氏が無所属議員で当選して以来、福田赳夫氏に紹介されて親しくなっていた私は、折りにふれて相談相手になっていた。森氏は小渕氏が遺した沖縄サミットに政治生命をかけることになる。
首相としての最初の外遊は、沖縄サミットに出席する各国首脳との顔見せ旅行になるのだが、最初の訪問国にモスクワを選んだ。羽田から政府専用機で飛び立つ直前に、森氏から「じゃあ、行ってくるよ」と電話を貰ったが、やはり不安な旅立ちだったろう。
だが、プーチンに会うことを最優先にしたのは正解だったと思う。「各国首脳が知らないプーチンと会ったことを、次の訪問国であるロンドンでブレアに対する土産話にしたら・・・」「柔道家であるプーチンに日本の柔道着を贈ったらどうだろう」と私なりに思いつくアドバイスをしたつもりでいる。
森氏はロシアとの縁が少なからずある。父親の茂喜氏は石川県根上町長、地方政治家だったが、日ソ協会長をしたこともあって、1950年代から日ソ民間交流に尽力している。1989年に亡くなったが、根上町と姉妹都市を結んだシェレホフ市の墓地に分骨した墓が建てられた。
プーチンとの会談で森氏は、シェレホフ市にある父親の墓地の話をしたのだろう。このことを覚えていたのだろうか。プーチンは2001年に茂喜氏の墓を詣でている。私も二度目のロシア旅行で、この墓を詣でたが、墓地の真っ正面に茂喜氏の墓があった。
シェレホフ市はイルクーツク市から近い街だが、このイルクーツク市と金沢市も姉妹都市を結んでいる。父親の墓が取り持つ縁なのだろうか、森氏とプーチンの間には友情に近い関係が生まれている。2001年3月に森・プーチンのイルクーツク会談が行われ、「イルクーツク声明」で日ソ共同宣言(1956年)が北方領土返還交渉の”出発点”であることを認めている。
森氏の腹はハボマイ、シコタンの二島返還を先行させ、クナシリ、エトロフは継続交渉とすることにあったが、プーチンはハボマイ、シコタンの二島返還で北方領土返還交渉を終結させたい・・・「イルクーツク声明」は両者の妥協の産物といえよう。
これは、あくまで四島返還の原則論に立つ世論の反対もあって、日露の領土交渉は冬の時代に入った。その間にロシアはメドベージェフ大統領時代にクナシリ、エトロフの軍事基地強化に出ている。ロシア側は進展がない日露関係よりも、中露関係の結びつきに力を注いできたのが現状といえる。
その中でプーチン(首相)は東日本大災害の直後に二つのメッセージを発した。
(1)過去から引き継いだ問題(北方領土問題)はあるが、日本は友好国であり、長期的に信頼のおけるパートナーである。積極的に支援するべきである。
(2)特に、福島原発の停止を受けて、日本で新たに需要が発生するであろう石油、天然ガス、石炭をロシアは供給する用意がある。
これが北方領土返還交渉でロシアが新しい提案をするメッセージと受け取るのは甘すぎると思うが、プーチンが「ハボマイ、シコタンにプラスα」の妥協案を考えているフシはある。ロシアは中露国境問題で中国に妥協する形で解決したからである。
その背景には、EUなどを相手に展開してきたプーチン資源外交が、先行き不透明となっている現状打開のために、新たなアジア重視の資源外交に打って出る・・・その相手として日本を視野に入れているという分析がある。
森・プーチン交渉の裏には外務省の東郷和彦欧亜局長らロシアン・スクールや鈴木宗男氏、佐藤優氏らの存在があった。基本的には「ハボマイ、シコタン先行返還論」である。これが四島返還要求の原則論に押されて、今では外務省内のロシアン・スクルールも力を失っている。プーチン新提案が出ても、それを受け止め、日露交渉を再構築する下地はないに等しい。
あるのは、プーチンが日本への積極アプローチを開始したのは、アジア太平洋市場において露エネルギー企業のプレゼンスを拡大する絶好のチャンスと捉えたからに他ならない、という評論家的な寸評でしかない。結局は四島返還要求の原則論の殻に閉じこもる・・・それが日本の姿ということではないか。(杜父魚ブログ)
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