昭和三十二年、敗戦後十二年たった時だが、青森県の自衛隊基地に体験入隊したことがある。三沢基地のカマボコ兵舎で一泊して、新しく編成された海上自衛隊八戸航空隊から米軍から貸与された中古の対潜哨戒機に搭乗して三陸沿岸を飛行した。
八戸基地は昭和二十五年にすでに警察予備隊八戸駐屯地として誕生しているが、昭和三十一年に陸上自衛隊八戸駐屯地になったばかりだった。当時は陸上自衛隊と海上自衛隊が同居していた八戸基地。
この時に海上自衛隊の護衛艦にも試乗したが、案内役は海軍兵学校出の若い士官。四年制の防衛大学校は昭和二十八年に創立されているが、第一期生はまだ各部隊に配備されていない。そこで旧軍の士官が部隊の指揮をとっていたことになる。
敗戦によって日本陸海軍が解体された筈だったが、われわれ新聞記者もよく知らない中に復活していたことに驚かされた。日本国憲法第九条で軍事力の不所持がうたわれているのに実態は旧軍が復活している。独立国になったのに、マッカーサー憲法よりもGHQの占領政策がまだ優位にあると実感させられた。
日本を占領したマッカーサーの連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、日本が二度と立ち上がれない”弱体化”の占領政策を推進してきた。昭和二十五年の朝鮮戦争が旧軍復活のきっかけになったとはいえ、ここまで日本軍の復活に踏み切った米国の狙いはどこにあるのか。
政治部に移ってから、この問題の解明に少なからず興味を持った。朝鮮戦争でGHQが占領政策を転換したと断じるのは早のみ込みだ。米ソ冷戦で旧日本軍を復活させる政策転換というのも実態ではない。米国は二正面戦略をとれる軍事力を保持していた。むしろ太平洋戦争を戦った米軍は、苦戦させられた日本軍の潜在的な軍事力に必要以上まで脅威を感じていたから、GHQは日本を無力化させる占領政策に固執していた。
事実、北海道に展開している陸上自衛隊に武器を貸与しているが、弾薬は米軍が管理するなど警戒感を崩していない。米ソ冷戦の最中でも日本の軍事力の復活を認めない占領政策を維持している。
戦後五年経った昭和二十五年になっても、日本との講和を推進する米国務省と、米軍の日本駐留を継続するために日本再独立に反対する軍部が対立をみせている。
しかし米本国では昭和二十三年にGHQの極端な日本を無力化させる占領政策を批判し、限定的再軍備を容認するロイヤル答申が出されている。
ケネス・クレイボーン・ロイヤル(Kenneth Claiborne Royall, 1894年7月24日 – 1971年5月25日)、弁護士であるとともに軍人政治家だったロイヤルのことは、あまり知られていない。
ハリー・トルーマン政権でアメリカ合衆国陸軍長官を務めたロイヤルは、マッカーサーの行き過ぎた占領政策を批判し、一九四八年(昭和二十三年)に陸軍長官として日本の経済復興を優先すべきであると訴え、「日本を極東における全体主義(共産主義)に対する防壁にする」と演説している。
これが米国政府内で立案が進められていた占領政策の転換の基礎となっている。ロイヤルはこの年に陸軍省作戦計画局に日本の再軍備計画について検討するよう指示していた。日本の占領政策はマッカーサーから米国務省と国防総省の手に移ろうとしていた。
朝鮮戦争は昭和二十八年まで続いたが、中共軍の介入を阻止するために原爆使用を求めたマッカーサーをトルーマン大統領が即座に解任する措置をとった背景には、マッカーサーの占領政策に批判的な米政権内部の勢力が力を得たことがある。
一説には朝鮮派遣を命じられた黒人米兵が小倉で完全武装のまま集団脱走して、全員がMPによって逮捕され、前線送りとなった小倉黒人米兵集団脱走事件もマッカーサーの評判を落とすことになったという。前線送りとなった米兵のほとんどが戦死している。
GHQによる新聞報道の検閲は戦前の憲兵による検閲の比ではない。小倉黒人米兵集団脱走事件も秘匿された。マッカーサーに対するトルーマン政権の批判も日本政府には伝わらなかった。だからトルーマン大統領によるマッカーサー解任劇は青天の霹靂だったわけである。
それにしても敗戦後、三年しか経っていない昭和二十三年にロイヤル答申が出され、日本の再軍備計画が米政権内で検討されていたことには驚くしかない。もっともマッカーサーが押しつけた日本国憲法によって再軍備計画が阻止され、自衛力を漸増する軽武装化に姿を変えたのは皮肉なことである。
もっとも上昇志向が強いマッカーサー自身は アメリカ大統領選挙に共和党候補として出馬する事を望んでいたから、早く占領行政を終わらせ凱旋帰国を望んでいたという。五月三日の憲法記念日を迎えるが、置き土産となったマッカーサー憲法を日本国民は後生大事にまだ護っている。
マッカーサーが解任されて離日する朝刊で、毎日新聞と朝日新聞はマッカーサーに感謝する文章を掲載した。三日の朝刊も護憲!護憲で飾るのだろう。
杜父魚文庫
9618 占領政策をめぐるロイヤル陸軍長官とGHQの対立 古沢襄

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