9632 ミャンマーの民主化は本物か 田島高志

ミャンマーでは、昨年3月新憲法に基づく新政権が発足した。
新政権は、民主主義による国家建設を標榜し、政治犯の釈放、アウン・サン・スー・チー女史との対話、政党登録法の改正、労働組合法の成立、補欠選挙におけるスー・チー女史の当選と野党「国民民主連盟」(NLD)の圧倒的勝利を受け入れるなど、急速に民主化を具体化させつつある。
それに呼応して欧米は長年続けた経済制裁を徐々に解除しつつある。既に報道されたとおり、4月下旬に日本も早速テイン・セイン大統領一行を公式に招請し、ミャンマーの民主化の進捗を後押しする姿勢を明白にした。
 
私は、1993年から95年まで駐ミャンマー大使を勤めた。当時は軍事政権であり、欧米から批判されていた。しかし、各閣僚が真面目に国家再建を目指して土日も休まず働いている姿を発見し、本国に報告。保健衛生等の人道的援助を増やすと共に、アウン・サン・スー・チー女史の釈放を首脳会談や外相会談の機会に促す政策を本国に提言した。その後釈放された同女史を外国大使の中では私が最初に公邸での昼食に招き、その後彼女とは数回会見し意見交換を行った。
その後、1998年に駐カナダ大使を最後に退官したが、ミャンマーに対する関心を持ち続け、2,3年おきに何度か同国を訪問した。今回は、去る2月下旬3年ぶりにミャンマーの民主化の現状を観るために訪問したが、この間の変貌振りは想像を超えるものであった。
中心都市ヤンゴン市内は、以前よりも建物の姿が整然とし、自動車の数が増え、より賑やかになっていた。特に驚いたのは外国からの訪問者が激増しており、空港での入国手続きに1時間以上かかるのが普通の情況であった。
観光旅行客の増加に加え、民主化による開放化の進むことを見越してビジネスチャンスを逃すまいと世界中からのビジネスマンが急増しているためだ。ホテルは1ヶ月以上前に予約しないと宿所がない。事務所ビルも払底して空室はない。既に進出済みの企業も事務所賃貸料の大幅値上げに音をあげているとのことだった。
一般にミャンマー人の性格は、温和で慎み深く勤勉で、極めて親日的である。街を行く人々の表情は以前から明るく、特に変わらなかったが、若い女性のモダンな服装に眼を見張った。新聞やテレビは報道の自由化が進み、内容が豊富でTVチャネル数も増えた。
今回のミャンマー訪問の間、政治の情況についてミャンマーの知人、友人の話を聞くと、新政権の人事も民主化方針も、前軍政のタンシュエ議長自身が引退前に指示したものであるとの見方でほぼ一致していた。タンシュエ前議長は、引退後の自分と家族の生活が安全で平穏であることを願い、そのために民主化と経済再建を志向したという見方であった。
多くの駐ミャンマー外交団の見方はこうだ。前軍政は、自国経済がベトナム、タイ、マレーシア等周辺国に比べ余りにも遅れていることに気づいた。中国だけに依存する政策には限界がある。
経済制裁の解除により先進国及び国際機関からの支援を得て経済を発展させ、アセアン共同体と共に行く道を選ぶことがやはり必要であると考えた。そこで民主化方針を発表した。スー・チー女史が大統領を信頼すると明言したので、政治犯を釈放しても混乱の生じる恐れはないと判断し、その後の急速な民主化実現への動きになった、という見方だった。
新政権のテイン・セイン大統領は、現在真剣に民主化のための具体的施策を実施しつつあり、スー・チー女史も同大統領を信頼すると発言した。いまや両者は互いに協力しつつあると私は見る。政府や議会も大統領の方針に従い諸施策の実施や審議にそれぞれ精力的に取り組んでいる。議会の審議の模様が連日TVで直接放映されていた。
国連援助機関のある代表は「労働組合法案起草について、政権側から相談を受けた。政権側起草の案を大幅に直したところ、これを全て受け入れた上で、『国際水準に合う法律にしたいので、何でも教えて欲しい』と言われた」と打ち明けた。
首都ネピードーで会談した政権指導層のひとりは、私に長々と真剣にこう訴えた。
「ミャンマーは独立当初から議会制民主主義を採った。その後困難な事情により紆余曲折を経たが、前軍政も民主化の実現が本来の方針であり、国内がようやく安定した2003年に着実な民主化を目指すために7段階のロードマップを発表した。政府も党も国民もこれまで頑張ってきた。現在ようやくその花が開いて新政府が成立した。この道は、逆戻りはできない。簡単に壊れることはない。自分達が描いた夢に近づいて来たのだ。
民主化の達成には国内平和の維持が肝心であり、その基盤の上に立ち経済成長と人材育成を達成して行く方針である。」
スー・チー女史の活動については、「国の発展のためであれば問題はない。補欠選挙で当選すれば、それは結構なことであり、政府に入ることもあり得よう。国民から支持を得ているならばそれも問題ない。」と当然のような面持ちで語った。
しかし、今後の道程には問題が少なくはない。民主化への動きはまだ始まったばかりだ。法整備も制度構築も依然不十分である。過去半世紀間も民主主義の経験のないミャンマーでは、それら法律や制度が出来ても、それらの意味や運用方法の理解と能力に欠けているため、適切に運用ができない恐れもある。運用を巡っての対立もあり得る。
政権の与党側においても、スー・チー女史率いる野党NLD側においても、内部は必ずしも1枚岩ではなく、改革派(柔軟派)と保守派(強硬派)などの意見の相異があると見られている。もし何れかの側の強硬派の意見が表面化した動きが起る場合には、混乱が発生しないとも限らない。民主化への基盤はまだ脆弱であり、何が起きても不思議ではないという指摘は留意しておくべきだ。
最近、私が一瞬憂慮したのは、先の補欠選挙で当選したNLD議員達が議会登院に際しての宣誓を拒否するという予想外の事態である。現行憲法の下での選挙で当選したのであるから「憲法を守る」との宣誓は自然のことである。しかしそれは、憲法改正を議会で主張できなくなるということではない。
政権側がどんな反応を示すかに注目したが、テイン・セイン大統領が日本での記者団の質問に「登院するかしないかは、スー・チー女史の決めることだ」と答えて冷静な対応を示した。スー・チー女史も結局「選挙民支持者の期待に応えるため」との理由を述べて登院を決め、混乱の発生を未然に防ぐことができた。今後も与野党が忍耐と冷静さを保ち話し合い、妥協しつつ進むしか民主政治の進展はないであろう。
現在のミャンマーは、国民の生活水準を上げるための経済発展を実現するには、資金、技術、及び人材いずれもが不十分であり、諸外国からの支援が不可欠である。国内での歴史的な問題である少数民族と中央政府との対立関係もまだ残っている。それを克服するためには少数民族地域の開発に対しても十分支援する必要があるだろう。
対外関係で注目されたのは、中国の支援によるミッソン大規模水力発電所建設の突然の中止発表である。ミャンマー・中国間で今後の扱いについて話し合いが行なわれているようだ。両国の関係が切れるというものではなく、ミャンマー新政権のよりバランスの取れた全方位外交への転換を示すものであろうと駐ミャンマー外交団は見ている。
ミャンマーの民主化を目指す動きは、本物だと私は見た。
民主化を後戻りさせないためには、日本を含む国際社会が民主化への動きを最大限支援し、定着させ、その成果をミャンマー国民に感じさせることが何よりも重要である。
日本政府は、先のテイン・セイン大統領訪日に際して、民主化支援のための経済援助方針を発表し、諸合意文書に署名したが、何れも十分に的を得た内容であったと思われる。それらが着実に実行に移されることを期待したい。
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