9717 イスラム色に染まるアラブ社会のカンバス 加瀬英明

パキスタン北部のギルギットとフンザで、イスラム教スンニー派とシーア派の抗争が激化して、高齢者を含む日本人観光客77人が危険にさらされ、日本政府がパキスタン政府に要請して、無事に救出された。
国際政治を理解するためには、宗教が何であるか、知る必要がある。
日本語には明治に入ってしばらく後まで、「宗教」という言葉がなかった。それまで日本語には、宗門、宗旨、宗派という言葉しかなかった。日本では宗派がつねに共存したのに、自分の信仰だけが真実であり、他宗を排斥する西洋語のレリジョンが、日本にはなかった概念だったから、宗教という新しい翻訳語を造らねばならなかった。
いま、とくにイスラム教に注目しなければならない。イスラムが再び戦闘的で、尖鋭な宗教となった。イスラム教はキリスト教より600年あまり遅れて生れたが、キリスト教も600年前には他宗をいっさい認めることなく、神の名において異教徒を大量に殺戮した、残酷な歴史がある。
イスラム圏は第1次大戦後に西洋文明によって圧倒されて、トルコからエジプトにいたるまで、エリートがイスラム教を軽視して、西洋を模倣することを通じて発展をはかった。
トルコ革命、イランのパーレビ帝制、イラクのフセイン政権、シリアの現アサド政権、エジプトのナセルからムバラク政権、チュニジアのベン・アリ独裁政権、リビアのカダフィ政権は、すべて宗教色が薄く、世俗的な政権であり、イスラム原理主義を非合法化して、苛借ない弾圧を加えた。
イスラム教が勢いを回復したのは、1970年代の石油危機によるものだった。イスラム圏は70年代の石油ショックによって、原油価格が暴騰するまでは、西洋に対して深い劣等感に嘖んでいた。
ところが、西側諸国がうって変わって、イスラム産油国に跪いて、〃油乞い〃をするようになると、自信を取り戻した。劣等感が裏返された優越感だから、手に負えない。
昨年1月に、チュニジアで民衆がベン・アリ独裁政権を倒し、エジプト、リビアをはじめとする多くの諸国に拡がると、不勉強な西側と、それに追従する日本のマスコミが「アラブの春」と呼んで、イスラム圏がいよいよ民主化するといって、囃し立てた。
「アラブの春」がイスラム圏に、何をもたらしているのか。
イスラム教徒は2000年近くにわたって、キリスト教徒と平和裡に共存してきた。古代キリスト教会に発するコプト派、メルキト派、マロン派、アッシリア東方教会をはじめとして、ついこのあいだまでアラブのキリスト教徒は、北アフリカからシリアまで、アラブ人口の20%を占めていた。石油危機を境にして、キリスト教徒に対する迫害が募るようになり、現在では5%にまで減っている。
イラクをとれば、アメリカをはじめとするNATO(北大西洋条約機構)のキリスト教兵士が、2003年にイラクを占領した時には、140万人のキリスト教徒を数えた。
ところが、その後、キリスト教の教会が全国にわたって破壊され、バクダッドだけでも、1000人のキリスト教徒が殺された。このために、キリスト教徒が国外に逃げ、現在では三分の一以下の40万人しか残っていない。
エジプトでは「アラブの春」以後、かつて8000万人の人口の10パーセントに当たったコプト教徒が、カイロ、プレキサンドリアをはじめとして日常襲撃されて、20万人以上が難民となって国外へ逃亡した。
アラブ世界では、どこをとってもイスラム教徒が寛容さを失って、排他的になっている。キリスト教徒もアラブ社会の一員であったのに、今日では〃カタコンベ〃(ローマ帝国時代にキリスト教徒は迫害を蒙って、地(カ)下(タ)墓(コン)地(ベ)に隠れて、生活していた)の生活を強いられている。宗教は恐ろしい。

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