9730 薄煕来の軍事関与事件を査察中、重要人物が急逝 宮崎正弘

成都軍管区副司令員の玩志伯中将が北京の病院で・・・。どうやら中央紀律委員会が最大の査察査問の焦点としているのは、成都軍管区と薄煕来との親密度のようである。
いったい誰が薄煕来の成都の軍事パレードを閲兵させ、誰が昆明部隊の視察を許可したのか。周永康が背後にあることは明白だが、具体的アレンジを実践したのは誰か。
薄と親しかった劉源の政治局入りは難しくなり、そればかりか軍事委員会委員からも外れそうな雲行き、彼と親しくしていた成都軍管区副司令員も、人脈的に濃厚に疑われる。
病死による急逝が発表されたのは五月十七日である。しかし友人等によると「かれはどこも悪い所はなく身体は壮健にして健康そのものだった」
玩は安徽省生まれ、1968年に入隊後、管理部門を歩き、2002年少将、10年に中将に抜擢された。08年からは成都軍管区副司令員をつとめてきたが、総後勤部時代に劉源(劉は劉少奇の息子、同部政治委員。大将)と知り合い、同年齢ということもあって親しかった。
この人脈から薄の陰謀に荷担したという猜疑心が中央紀律委員会の査問対象となった。その彼が北京の病院で急逝したというニュースを素直に受け取れる筈がないだろう。(註 玩志伯の「玩」はおおざと)
杜父魚文庫

コメント

タイトルとURLをコピーしました