薄夫人、谷開来と親密だった、もう一人のフランス男はいま?ようやく探し当てたNYタイムズもご苦労さんな話ですが・・・。
パトリック・アンリ・デビレル(フランス人建築家)はカンボジアにいた。この男、かつて大連で薄ファミリーのネットワークのなかで最大級に薄夫人の谷開来と親しかった。建築家でもあったフランス人は何処へ消えてしまったか。
1990年代、薄煕来がまだ大連市長だった時である。大連の目抜き通りのデザインとランドマークの設計を依頼されたデビレルは、頻繁に薄家に出入りを許された。
2000年に薄夫人の谷開来が英国に会社を設立したとき、パートナーはこのデビレルで、殺されたニール・ヘイウッドではなかった。ヨーロッパの古風な建築を中国風に取り入れ、新しいビルディングをあちこちに建築するコンサルティング企業だった。
この企業の登録地が英国南東部の海岸にあり、瀟洒なヴィラの住所に会社登記もなされたが、二人の住所登録も同じだった。だが、この英国企業は謎に満ちたまま、三年で活動を止めた。
デルビルが父親とともに、2006年にルクセンブルグに登記した不動産会社(「D2プロジェクト社」)の北京の登記住所は谷開来のオフィスと同じだった。同社は数百万ドル以上の不動産を欧州各地に所有し、とくにこの時代、フランスの高級住宅が外国人投資家に売れた。
一説に、この会社が薄ファミリーの不正資金のマネーロンダリングを幇助したトンネル企業ではないかと言われた。しかしデビレルの父親はこの噂を真っ向から否定した。
カンボジアの首都、プノンペンにフランス風の二階建ての住居をかまえて、デルビルは人目を避けるように道教の研究をしていた。カンボジアは旧フランス領、いまもフランス語が通じる。
欧州、アメリカあるいは中国全土を探してもいないはずである。07年に欧米マスコミに谷開来との醜聞、もしくは艶聞を書き立てられてから、かれは忽然と姿を消していたのだ。かれの前妻は大連の女だった。結婚は数年も続かなかった。「かれはつねにロマンスを求める詩人だ」と友人は言った。
▼老子のように淡々と
NYタイムズは、ようやくにしてデルビルの栖家を発見した(5月18日付け、ケイス・ブラッドシェール記者)。かれはプノンペン郊外に竹で編んだ素朴なコテージに住むことが多く、付近で値段を聞くと同じサイズのコテージが9000ドルで買える。
彼はまるで老子のごとく質素に、そして道教の老師のような暮らしをしており、谷開来とのラブアフェーに関しては一切口を噤んだ。そして言った。「老子曰く、天網恢々疎にして漏らさず、と」。
薄ファミリーの汚職、殺人疑惑、重大な規律違反などで重慶では部下ら三十数名が取り調べを受け、大連でも薄最大のスポンサーだった実徳集団の徐明ら十数名が拘束、査問の最中である。
徐の部下で金庫番といわれたユジュンシン(音訳不明)は徐の逮捕を聞くや、200万ドルをわしづかみにして香港経由、豪へ高飛びした。
重慶で123エーカーもの土地を購入した香港の「ゴールデン・インタナショナル・インベストメント」という面妖な会社も徐明のダミー企業であることが判明し、豪へにげた部下達がその担当ではなかったか、といわれた。
まだまだ地下の闇からミステリーが登場するが、当該フランス人は数年前に中国を去っていたことがわかり、当局の捜査対象からもはずれたという。
杜父魚文庫
9753 地下の闇からミステリーが登場 宮崎正弘

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