イランの譲歩が本物だと認識する国連常任理事国は甘い。IAEAは過去に何度も北朝鮮やイランに煮え湯を飲まされた。
イランが核開発で国際原子力機関の査察を受け入れ、濃縮ウランの製造を停止するので、その見返りが欧米日の経済制裁の解除であるとすれば、イランは巧妙な時間稼ぎのあと、数年後にまたIAEA違反をやってのけるだろう。
「ナタンズでの核施設には査察がはいったことはない。IAEAと北朝鮮のように、過去に何回も国際社会はイランに裏切られたではないか、とイスラエル高官が欧米、ロシア、中国に警戒を促している」(イスラエルの有力紙『ハーレツ』、5月24日)。
イランの核問題を議題に国連安全保障理事会(米英露仏中)五カ国とドイツを加えた6カ国協議が23日からイラクのバグダッドで開催されている。イランの隣で会議をやって、テヘランに政治圧力をかける腹づもりらしい。
イランが妥協か、という観測が強い中、六ケ国はイランに、濃縮度20%のウラン製造の停止を提案している。これをさらに濃縮すれば軍事利用が可能なレベルに達するためだ。イランも6カ国側に経済制裁の大幅緩和を求めた。
EUのアシュトン外交安全保障上級代表は「6カ国側の新提案はイランの利益にもなる」とし、イランの濃縮ウランを国外搬送する引き換えに加工済み燃料棒を提供する。同時に航空機部品のイラン向け販売解禁などが含まれる。
すでに5月21日にイランはIAEAの天野之弥事務局長との間で「疑惑解明のための検証の枠組み」で合意した。
しかしイラン核施設への攻撃を選択肢から外さないイスラエルのバラク国防相は「イランの核兵器開発阻止に制裁強化が不可欠だ」と欧米の安易な妥協を牽制した。
▼革命防衛隊内部でつぎつぎと幹部が死んでいるのは偶然だろうか?
そのイラン内部で謎に満ちた異変が起きている。革命防衛隊の幹部がつぎつぎに十名も謎の死を遂げているのだ。
過去ニケ月間に十名が変死した中で、二名の死は公表された。フランス情報筋によれば92陸軍部隊のゴラン・レザ・クアセミ前司令とアヴァズ方面の司令だったモハメド・アリ・ムサビ大将。
ほかにイスラエルは三人の名前を報道している(同ハーレツ)。
マンソウリ将軍は革命防衛隊のなかのハメネイ師側の代表、最近心不全で死亡した。ヒラハリ大佐とプール大佐は自動車事故で死んだ。ハマネイ側は、これら軍高官の死を発表していない。イスラエル情報筋によれば、「イラン革命防衛軍はイランの地下経済の元締めであり、その内部抗争、利権争いの結果ではないか」として疑惑を強めている。
読者の声 どくしゃのこえ READER‘S OPINIONS 読者之声
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
♪
(読者の声)初歩的な質問ですが、王立軍は成都の米国領事館へ政治亡命をしようと、一旦は領事館建物内に入ったわけですが、丸一日後に館外へ出されてしまい、そこを中国当局に捕まり北京へ連行されてしまうわけですが、どうして米国は王立軍の政治亡命を認めなかったのでしょうか。
国家機密の内容が大した内容ではないため匿うには小物すぎたのか、あるいは当時、習近平が米国訪問中で、厄介なことに巻き込まれては米中間の微妙な関係に影響を与えると考えたのか、はたまた、領事館を武装警察(解放軍も)が取り囲んで、威嚇されたために館外へ追い出したのか? その全部が理由なのか?どうにもわかりません。
貴誌にはこうあります。「王立軍は四川省成都の裁判所で切り離して扱われ、6月に開廷。王には「国家反逆罪」が適用される。死刑か、無期懲役の可能性が高いと言われるのも国家機密を米国領事館に持ち出したからだ」(引用止め)
死刑になる可能性もあることぐらいは米国は分っていて、それでも館外へ出したということは、何か裏取引をしたのでしょうか。どうにもよくわかりません。
解説していただけたら、霧が晴れるのですが。よろしくお願いします。(MN生、蘇州)
(宮崎正弘のコメント)まず「米国の亡命者保護ガイドライン」は下記の通りです。
a.. 人種、宗教、国籍、特定の社会グループへの帰属、政治的見解を理由に、迫害を受けた者、もしくは迫害を受ける恐れのある者は、亡命者保護を求めることができる
b.. 亡命者保護は、米国内か通関港に入った者にのみ与えることができる
c.. 申請者が他者への迫害を支援した場合、非政治的犯罪を行った場合、米国内で重罪による有罪判決を受けた場合、受け入れを拒否することができる
d.. 申請者が迫害や身体的危害を受ける危険に瀕している場合、米国の在外公館で一時的保護を受けることができる
e.. 申請者が単に米国への移住や現地の法律から逃れることを望んでいる場合、申請者をかくまうことにより公館の安全確保が危うくなる場合、国務省からの指示があった場合は、一時的保護を拒否することができる(出典:米国土安全保障省)
さて王立軍亡命未遂の経過ですが、中国の中原におられるとかえって情報がないのかもしれませんね。
先日、上海で中国人の知人に「薄煕来事件どうなっている?」と聞いたら「こちらは『重大な紀律違反で職務停止』というニュースしかありません。逆に教えて下さい」と言われました。
ご質問のこと、以下の通りです。過去のメルマガならびに拙著から抜粋しますと、
「一週間後に習近平が訪米する政治日程だった。ウォールストリート・ジャーナルは「習近平の訪米直前に政治スタイルのまったく異なる太子党の薄煕来がポピュリズム重視の新しい政治スタイルで重慶市民の圧倒的支持をえていることに何らかの関係がある」とやや善人的な分析を展開した(2月9日)。
王立軍は米国領事館に三十六時間を過ごし、領事館員と黄市長に説得されて領事館のそとへ「自発的」にでた。身柄は重慶公安局ではなく、北京から派遣された中央紀律委員会のGメンらに引き渡され、そのまま北京へ連行された。
問題は誰が王立軍が米国領事館へ「相談にいった」ことを北京中枢に通報したのか。
米国大使館が北京の外交部へ連絡したのが最初で、これが外交部から権力中枢、常務委員会法紀委員会へとリレーで連絡され、ついで九人の常務委員秘書へそれぞれ通知された。中央政治局の常務委員会政法関係の責任者は周永康(江沢民派)であり、しかも周は薄と大の仲良し、政治同盟を組んでいた。
周は胡錦涛ではなくボスの江沢民に伝えた。
薄煕来は黄奇帆(重慶市長)に連絡を取って成都の米国領事館へ警備を急派するよう要請し、自らも代理人を急遽、成都へおくりこんだ。この時点で薄と右腕の王立軍とはすでに対立関係に陥っていた事実がようやく明瞭となる。
米国は領事では決定ができず(しかも成都領事は当日不在だった)、北京のゲイリー・ロック大使から国務省へ繋がり、それはホワイトハウスへと伝達されていた。
つまり「興奮の36時間」はオバマ・ヒラリーという米国の首脳クラスが決断するまでの時間であり、結局は習近平訪米を一週間後に控えたタイミングという政治的判断から王立軍の亡命を受け入れなかった(もっともニューヨークタイムズ等は方励之の亡命とは異なり、かれはダライラマでもない」と書いた)」
杜父魚文庫
9767 中国では王立軍事件のことが分からない 宮崎正弘
宮崎正弘
コメント