国会の答弁席に座る野田佳彦首相の表情を、テレビを通じて世間が注視する時期になった。勝負どきが迫ったことを察しているからだ。隣の岡田克也副総理、その隣の安住淳財務相とは注目度が違う。
野田は喜怒哀楽がほとんど外に表れない。明るくないが、暗くもない。
「西郷隆盛に似ている」と言われるが、一見したところドシンと構えているといったイメージだけで、西郷の実像をだれも見たことがない。
頼りになるような、ならないような。しかし、ここ数人の首相にくらべると安定感、信頼感があるのかもしれない。
野田自身、歴代首相を論評できる立場にない、と断りながら、次のようなオーラ論を書いている。
<自民党で昔秘書をやっていた方の話を聞くと、「三角大福中」までは、みんな個性は違うけれども、会合などで同席するような時に、オーラがあって緊張したという。しかし、それ以降はオーラを感じない。
注目すべきは、ここまでは世襲ではなく「創業者」が多いことだ。羽田孜さん以降、2世が増える。羽田さんから麻生(太郎)さんまでの9人のうち、世襲でないのは、村山富市さんと森喜朗さんだけだ。
やはり中曽根康弘さんあたりを最後に、トップに立つ人からオーラがなくなってしまったように感じられる>(「民主の敵−−政権交代に大義あり」新潮新書・09年刊)
その後、世襲組に鳩山由紀夫、非世襲組に菅直人と野田が加わった。
オーラは風格、風圧、威圧感とか、にじみでる一種の雰囲気で、指導者の品定めをするのに欠かせない要素の一つである。重大な決断、説得あるいは誘導をするのに、リーダーが醸し出す雰囲気は、時に決定的な意味を持つ。
野田の前には、いま消費増税法案の成否、衆院解散のタイミング、その後の政界再編問題などが待ち受けている。政治の大きな分岐点といっていい。
日増しに野田に対する圧力、批判が強まるだろう。なにしろ衆院当選5回、55歳だ。当選回数の先輩が与野党に96人、年長者が衆院だけで234人もいる。同じ54歳で首相に就いた田中角栄は、退陣の後だが、
「総理になった時は自民党議員の平均年齢以下だった。この若造め、と思った人もいただろう。まあ、よくも殺されなかったものだな」
と漏らし、苦笑いしたという。今の野田が同じ立場にいる。
野田バッシングはとっくに始まっている。その代表例は<財務省支配政権>という批判だ。
<財務省にしてみれば、野田という政策も行政経験もない政治家を操ることなど、赤子の手をひねるよりたやすいことだろう。野田さんは政権交代後の2年間、財務副大臣、財務大臣を務めた。この間、財務官僚が手塩にかけて育て、盤石の「増税シフト」を敷くことに成功した>
と、みんなの党の江田憲司幹事長が新著「財務省のマインドコントロール」(幻冬舎)に書いている。野田はパペット(操り人形)だという。
外部の学者や評論家の発言ではない。公党の首脳が非公式でなく、出版物で決めつけているのだ。コントロールされているという野田も、コントロールしているとされる財務省も、ここは断固として反論しなければおかしい。
言わせておけ、という態度はよくない。論争を通じてこそ、世間は本当の姿を知ることになるからだ。非難・中傷ではなく、厳密な言論戦がいまもっとも求められている。(敬称略)
杜父魚文庫
9778 マインドコントロール 岩見隆夫

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