明日はいよいよ、福島第1原発に関する国会事故調が、菅直人前首相から聴取を行います。以前のエントリでも書きましたが、どうせ菅氏のことだから、のらりくらりと言い逃れ、悪いことはすべて他人に責任を押しつけ、「自分としてはやるべきことはやった」などど必死に自己正当化と自己美化に努めることでしょう。
また、菅氏の脳内ではすでに自分が実際にとった行動と、あるべき理想の行動が自分に都合よく混同され、記憶が変換されて区別がつかなくなっている可能性もあるでしょうから、事故調の委員たちも事実を引き出すのには苦労することだと思います。
ただそれでも、いやそうであるからこそ、これまでの自身の過去の言動との矛盾、食い違いを多く露呈することになり、結果としていかに自身の発言が信用できないものかを世間に知らしめることになるだろうと予想します。まあ、昔から言われるように「隠すより現る」ということですね。
明日は、私もこの事故調での聴取について何らかの記事を書く予定なので、昨日は過去記事や過去の取材メモなどで菅氏の過去の発言などをおさらいしてみました。そして改めて、本当にひどい、めちゃくちゃで破壊的で自分勝手で支離滅裂で姑息で卑怯で救いようのない宰相だったのだなと振り返りました。
いまだにこの人物に一定の評価を与え、あるいは持ち上げている人をみると、決して渡ることのできない深くて広い川の対岸にいるのだなと、自分の脳の永遠の虜囚である人間という生き物の孤独を感じ、どこかうすら寂しさすら覚えます。
みんな、見たいものしか見ないし、見えない。聞きたいことしか聞かないし、聞こえない。五感も理性も実態などなく、それぞれの脳が都合よく操作したものを受け取っているわけですね。まあ、その性向を誰よりも強く持っているのが菅氏なのでしょうが。やはり、色即是空であり、空即是色は真理であります。
で、菅氏と、菅氏という不条理について考えたことについてアレコレ語りだすと止まらないので、本日は昨年7月にSANKEI EXPRESS紙に書いたコラムを、現在の思いに代えて再掲し、お茶を濁します。韓非子の普遍性はすごい、日本でもっと読まれた方がいいと常々思っています。
<<【菅政権考】韓非子が戒める亡国のトップ>>
中国・戦国時代の韓の公子で法家思想の大成者とされる韓非子を読むと、約2200年も前に書かれたにもかかわらず、あまりに菅直人首相(64)の失政・失態とぴたりと重なることに驚かされる。秦の始皇帝も愛読したという韓非子が描く愚かで無能な「亡国の君主」の姿は、首相のあり方そのものなのだ。
■短気で軽率で自分勝手
《君主がせっかちで気が短く、軽率で事を起こしやすく、すぐに激怒して前後の見さかいもなくなるという場合は、その国は滅びるであろう》
韓非子はこう指摘するが、首相は1980(昭和55)年の衆院初当選以前から、すでに「イラ菅」とあだ名されていた。
特に3月11日の東日本大震災発生後、最初の1週間から10日間はパニック状態に陥り、周囲に怒鳴り、あたり散らす。周囲の反対を押し切って東京電力福島第一原発を視察したり、午前5時半に東電本店に押しかけ社員を恫喝したりするなど、その振る舞いは常軌を逸していた。
《君主がねじけてかたくなで人と和合せず、諫言に逆らって人に勝つことを好み、国家のことを考えないで、軽率な行動で自信たっぷりという場合は、その国は滅びるであろう》
記事本文の続き 3月中旬、民主党幹部が首相に歴代首相経験者を回って協力を求めるよう進言したところ、首相は「今さらおれが頭を下げるのか」とこれを拒否した。与野党協力の実現よりも、自身のプライドを優先させている。
《過失をおかしながら忠臣のことばを聴きいれず、一人で思ったとおりにしていると、名声を失って人の笑いものになっていく始まりである》
こうした首相の独善的で国民生活も国会運営も考慮しない姿勢に、これまで首相を支えてきた閣僚や仙谷由人官房副長官、民主党の岡田克也幹事長らもあきれ果て、離れていく。
いまや首相は与野党双方から「裸の王様」と嘲笑され、国会でも「恥知らずな史上最低の首相」(公明党の佐藤茂樹衆院議員)といわれる始末だ。
■法律ゆがめて知らん顔
「内閣で一致した言葉でないなら一私人の言葉だ。それは鴻毛(こうもう)より軽い」
海江田万里経済産業相は21日の参院予算委員会で、中国の歴史家、司馬遷の言葉を引用してこう首相を批判した。首相が閣議にも諮らず、関係閣僚との調整もせずに「脱原発宣言」を行い、批判されると「個人の考えだ」と引っ込めたいい加減さが我慢ならなかったようだ。
客観的な統治の原則として、法を何より重視した韓非子は、指導者が国を危うくする政治手法としてこう例示する。
《第一は、規則があるのにそのなかでかってな裁量をすること、第二は、法規をはみ出してその外でかってな裁断をくだすこと、第三は、人が受けた損害を自分の利益とすること》
これも、まるで首相の姿を鏡に映したかのようだ。首相は法的根拠のないまま中部電力浜岡原発への停止要請を行い、担当閣僚の海江田氏が出した「安全宣言」をひっくり返して、思いつきで原発へのストレステスト(耐性検査)実施を指示した。
民主党の太田和美衆院議員によると、首相は震災発生直後に「これで(首相を)2年できる」と言い放ったという。事実だとすると、まさに被災者の悲嘆と損失を食い物にしていることになる。
《君主が好んでかってな知恵をふるって法をゆがめ、時には公法のなかに私情をすりこませ、法律禁制がよく変わって、政令がたびたび出されるという場合は、その国は滅びるであろう》
首相は昨年6月の就任以降、自身の延命のために次々と新しい政策テーマを打ち出しては、言いっ放しにして投げ出してきた。これ以上こんな菅政治が続けば、本当に国が壊れてしまう。(政治部 阿比留瑠比)
……幸い、菅政治は昨年8月、少数の人が惜しむ中で幕を閉じました。やはり、「挫するなかれ、折(くじ)くるなかれ。神州必ず滅びざるなり」(吉田松陰)だと思ったものです。あれから首相が代わり、そしてまた当然のように政治は停滞していますが、焦らずくじけず行くしかありませんね。
※追伸 今、枝野幸男経済産業相(当時・官房長官)に対する国会事故調の聴取をネット中継で見ていたら、私が何度か産経紙面やこのブログで触れたSPEEDI情報の公開遅れの件が追及されていました。例えば私は、今年1月のコラム「日曜日に書く」にはこう書いています。
《官邸筋によるとこのSPEEDI情報の公開をストップしたのが当時の枝野幸男官房長官だった。
「情報はどこかで一元化して勝手に出さないように」
枝野氏が原子力安全・保安院などにこう指示した3月17日のデータでは、後に全村避難を余儀なくされた福島県飯舘村で「相当な数字が出ていた」(官邸筋)。
官邸筋は、福山哲郎官房副長官(当時)が後に官邸内で「(枝野)官房長官が『情報管理を徹底しろ』という趣旨のことを言ったにしても、ちゃんと必要な情報は公開すべきではなかったか」と議論していたのを記憶している。》
これについて本日、枝野氏は「部局各々が一覧性のない生データをそのまま公表すると混乱するから、文科省にはデータを分かりやすく整理して、安全委にはその意味するところを評価してから公表するように指示した」という趣旨の説明をしていました。
私の取材では、当時、官邸首脳らは官庁や東電をすべて指揮下に置くことに腐心しており、この枝野氏の「勝手に出すな」という指示を受けて保安院はSPEEDI情報をぴたっと止めたと聞いています。つまり、枝野氏がそれを意図していたかどうかはともかく、23日に一部公表されるまでの約1週間、SPEEDI情報がストップしていたのは枝野氏自身の指示が原因だったことが裏付けられた形です。
杜父魚文庫
9784 明日はいよいよ国会事故調が菅前首相から聴取するので 阿比留瑠比

コメント
鳩山、菅、野田と続けざまの愚者の宰相就任は日本人有権者の責任である。
今その咎めが次々と日本人の頭上に、甚大な災厄をもたらしている。
因果応報というにはあまりにも悲惨である。2009年総選挙に於ける民主党への投票者の責任と罪は重い。
こと菅直人に関して言えば、彼の東北大震災と福島原発事故への対応不手際は多くの被災民に塗炭の苦しみを与え、助かる命さえも失わしめた。
この菅直人という人間を長期にわたり国会に送り続けた東京18区の選挙民には自分達が「加害者の一人」であるという意識は無いのであろうか?
非難され、断罪されるべきは第一に愚鈍、不明、無責任の有権者であろう。
恥を知るべきである。
我が民族の長所については多くの識者がすでに語っている。
だから、私は自己慶賀はやらないことにする。
日本人の短所
意思がなくて恣意 (私意・我儘・身勝手 )がある。
個人主義がなく、意思決定に難渋して、未解決の問題が山積している。
成案がなくて腹案がある。
「お前らに、俺の腹の底が読めてたまるか」といったところか。
これらは、‘‘教育の問題’ と済ましていられない。
この問題を克服すれば、我々日本人は、さらに世界中から尊敬を集めることになる。
日本民族の資質:下働きとしては優秀、政治指導者としては愚鈍
下の者は、現世に埋没している。「世の中は、、、、」の発想法に甘んじている。
忍耐と努力が必要である。不自由を常と思えば不足なしか。各国から賞賛されている。
上の者には、哲学がない。あるべき姿の内容を脳裏に蓄えることができないでいる。
我々の遠い未来に行き着く場所を示していない。だから、非現実の世界を基準にたてて現実を批判することは難しい。
「そんなこと言っても駄目だぞ。現実はそうなってはいない」と言い返されて終わりになる。やはり、現世埋没型である。
現在構文ばかりの言語で、非現実を語れば、それはこの世のウソとなる。
「現実を無視してはいけない」「現実を否定することはできない」などという精神的な圧迫がかかっている。
上の者には、自己の現実対応策 (成案) に説得力を持たせる意思が必要である。
自己の意思を示せば当事者になる。示さなければ傍観者にとどまる。
だが、意思は未来時制の内容であり、日本語には時制はない。
我が国は、世界にあって世界に属さず。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
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