防衛相は国会議員でなければならない、という議論ほど下らないものはない。国家の安全は議員だけの問題ではない。国民が等しく背負うものだから、内閣を率いる首相がもっとも適任と思う人事をすればいい。
すくなくとも民主党政権下で二代にわたった防衛相は国会議員だったが、”お粗末”を絵に描いたようなものだった。これほど国家の安全にとって有害だったものはない。他国の侵攻があったらと慄然とせざるを得ない。
森本敏氏は単なる外交・防衛評論家ではない。評論家に国家の機密事項を任せるのか、という極論はためにするものとしか思えない。左巻きの議論なら、それはそれとして分かるが、保守系の中にもこうした妄言が出ているのは、いかに国家の安全認識が欠落しているかを示している。
森本防衛相は初の記者会見で、与野党から出ている「防衛大臣は国会議員が務めるべきだ」との批判に対し、「防衛大臣も内閣総理大臣の指揮監督下にある」、「防衛予算や国防の体制は、全て国会の承認を得ている」ことなどを理由に挙げ、民間人の大臣が「シビリアンコントロールを損なうものではない」との認識を示した。
<野田内閣の改造で民間から起用された森本敏防衛相が4日夜、防衛省で初めて会見し、「シビリアンコントロール(文民統治)の観点から、民間人の防衛大臣は問題がある」との批判に反論した。
森本防衛相は「シビリアンコントロールという本来の目的・趣旨を損なうものではないと考えている」、「国の防衛とか安全保障を専門にやってきた者として、ぜひとも自分の持っているわずかな知見を国の防衛のために尽くしてみたい」と述べた。
民間人として初めて防衛相となった森本氏は、会見の冒頭、元自衛官の経歴に触れ、「また古巣に戻ってきた感じ」との心境を述べた。
そして、与野党から出ている「防衛大臣は国会議員が務めるべきだ」との批判に対し、「防衛大臣も内閣総理大臣の指揮監督下にある」、「防衛予算や国防の体制は、全て国会の承認を得ている」ことなどを理由に挙げ、民間人の大臣が「シビリアンコントロールを損なうものではない」との認識を示した。
また、就任前に集団的自衛権の行使を容認する発言をしていたことについては、「一研究者として、個人の考えがあったのは確かだ」としたうえで、「野田政権の一員となったので、任期中、政府の考え方を変更することは毛頭ない」と述べ、政府見解である「保有しているが行使できない」との集団的自衛権についての憲法解釈に従う姿勢を明確にした。(フジニュース・ネットワーク)>
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