さて、私はこれまで、このブログや産経紙面、雑誌への寄稿などで菅直人前首相の東日本大震災における被災者支援の遅れと福島第1原発事故対応のめちゃくちゃぶりについて批判してきました。ですが、当然のことながら、私とは違う見方をし、菅氏を評価する人もいます。
少し旧聞になりますが、2日付の毎日新聞の岩見隆夫氏のコラムに、枝野幸男経済産業相(事故時の官房長官)が昨年11月、埼玉県の聖学院大学で行った公開講演会の抜粋が載っていたので、それを引用します。
《やはり時代状況とか政治状況によって、求められる資質も違う。例えば、皆さんの菅直人さんに対する評価、相当低いだろうが、私は本当にこの3月11日の総理大臣が菅さんであってよかったと思っている。
おそらくいずれ評価されると……。最初の1週間から10日ぐらいの、本当に政府全体がめちゃくちゃな状況の時は、あれぐらいわがままで勝手で強引という人間でなかったら、たぶん政府の機能が止まっていたのではないか》
……確かに枝野氏は、昨年3月の事故後間もない時点でも周囲に「菅さんはひどい人間だが、今は菅さんが総理でよかった」と語っていました。私はこの枝野氏の見解に全く同意しませんが、そういう見方や意見があってもいいのでしょう。まあ、菅氏の「女房役」で共同正犯である枝野氏のセリフですから、これ自体に自己(と菅内閣)正当化のニュアンスを感じないでもないですが。
ただ、ここでもう一つ大事なポイントは、枝野氏はあの3・11直後の政治状況にあっては菅氏の資質が生かされたという認識を表明しているわけですが、身近で見てきた人物として一方で、「わがままで勝手で強引」「ひどい人間」とも断じているわけです。当時、菅氏の最側近といわれたある政治家も、裏では「本当は菅さんは嫌い」と言っていました。
今回のエントリは菅氏の性格・人間性をあげつらう趣旨・目的ではありません。そうではなくて、上記のような評価と見方は菅氏を少しでも知る者にとってはごく当たり前というか、当然の前提すぎて今さら特に言及もしないような事実であることを指摘しておきたいと思いました。
繰り返しますが、原発事故対応の評価に関しては、私のように彼こそが人災の元凶と見る者と、枝野氏のように「いや、菅氏だからこそ何とかなった」という意見が、割合はともかく分かれて当たり前だと思います。ですが、朝日新聞が連載「プロメテウスの罠」で書いた「菅氏は終始冷静だった」なんて記述や、ネット上で見かける「菅氏は実はいい人だろう」「立派だった」は、100%当たっていないと考えます。
そして、そういう誤った前提から結論を導き出そうとしても、そりゃ事実からずれていくだけだと思います。菅氏を高く評価するならするで、枝野氏のような見方なら、相当無理があるにしろ多少は分かりますが……
杜父魚文庫
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