9858 波風建てず、権力だけを維持  宮崎正弘

薄煕来と親しかった軍人ふたり、その後の動静が初めて伝わった。薄と親密にすぎた劉源と張海陽は「健在」の様子。
劉少奇の子、劉源は総装備部政治委員。薄の幼友達でもあり、毛沢東主義に帰れという点で意見が一致していた。
それゆえに4月10日の薄の政治局員としての「双停」以来、おそらく取り調べの対象になったとして、その後の動静が伝わらなかった。
劉源は5月14日に河北省を視察、張慶黎・同省書記と張慶偉・同省長が石家庄駅頭に出迎え、一緒に軍医学師範学校を視察した(河北省の省都は石家庄)。もし失脚していたら、この書記、省長出迎えはあり得ない。
5月27日には北京で開催された世界包装連合会に、軍幹部60名等と出席した。
張震の子、張海陽は第二火砲部隊・政治委員。「第二火砲」とは戦略ミサイル軍。「海陽」は父親が参加した上海解放(49年)にちなんでつけたと張震回想録にある。
張海陽はハンガリー国防部の熱烈な要請により「友好団」十名とともに4月15日にハンガリーを訪問し熱烈歓迎を受けた。
もし失脚していたら外国へは渡航が許可にならない。
5月21日には烈士追悼写真展の除幕式に靖志遠・司令員とともに出席した。同月23日には北京の式典に参列していたことが判明し、ともに「健在」である。
さすがに悪名高き周永康が失脚しなかったのだから、いまの中国は安定第一。「維穏維権」(何事も波風建てず、権力だけは維持する)のが党是だからね。
 
杜父魚文庫

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