9919 小沢一郎氏、夫人の暴露で窮地に! 韓国紙   古沢襄

国内メデイアは小沢一郎氏に遠慮があるのか、週刊文春が離婚について暴露する夫人の手紙を公開した記事をほとんど扱わないが、お隣の韓国では朝鮮日報が詳しく報じている。
和子夫人の「隠し子について聞いても我慢したが、震災後の行動見て離婚を決意」の言葉を見出しに使った。韓国には一定の影響力があった小沢氏だが、先方の方がいち早く見切りをつけたのかもしれない。
<最近、政治資金をめぐる裁判で無罪判決を受け、政治活動を再開した日本政界の最高実力者、小沢一郎・元民主党代表(70)が、和子夫人(67)による暴露の手紙で窮地に立たされていることが分かった。民主党内部で最大の派閥を率いる小沢元代表は無罪判決を機に、野田佳彦首相が推し進める消費税の税率引き上げに真っ向から反発するなど、政治活動を再開しており、次期首相の座も狙っているといわれていた。
週刊文春は14日、和子夫人が夫との離婚を宣言し、これについて説明するため支援者に送った、便箋11枚に及ぶ手紙を公開した。この手紙の中で和子夫人は「8年前、夫から『かつて付き合っていた女性との間に子どもがいる』と知らされ、一時は自殺を考えるほどショックを受けた。夫は謝りさえしなかったが、いつかは大きなことを成し遂げるだろうと思い、離婚せず我慢してきた」と打ち明けた。
だが、和子夫人は「原発事故が起こると、夫は放射線が怖いと言って、選挙区の岩手県を訪れるどころか、東京から逃げようとした。私が止めたため家にいたが、外出することもなく、放射能汚染を恐れて魚や野菜も捨てるよう指示した」とつづった。
水道水の汚染を恐れ、ミネラルウオーターで洗濯するよう命じたともいう。和子夫人は「夫のこのような姿を見て、夫が国民にとって役に立つのか、害になるのかということがはっきり分かった。自分の体のことだけ考える男の政治活動を支えてきたことについて、本当に恥ずかしく思い、離婚を決断した」と打ち明けた。
また、夫が一時、荷物をまとめて東京を逃げ出していた、とも主張した。実際、小沢元代表は地元の岩手県が東日本巨大地震(昨年3月11日)で津波による被害を受けたにもかかわらず、震災後長い間地元に姿を見せなかった。和子夫人は夫から慰謝料を受け取り、岩手県の復興のために寄付するとの意向も表明した。
小沢元代表は、自らの政治的な師匠である故・田中角栄元首相の紹介で、建設会社社長の娘の和子夫人と1973年に結婚した。知り合ってからわずか3カ月で結婚式を挙げ、政略結婚だといううわさも流れたという。
名門大学として知られる上智大出身の和子夫人は英語に堪能だが、外部の行事にはほとんど出席しなかった。夫の健康を考え、弁当を作るなど、内助の功を果たしてきたという。なお、小沢元代表と和子夫人の間には3人の子どもがいる。
一方、小沢元代表側は「夫婦の問題は個人的な問題であり、手紙の内容は事実ではない」と主張している。(朝鮮日報)>
杜父魚文庫

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