刊行のタイミングだけは最適だ。小沢派、またまた新党結成へ突き進むか?壊し屋の本領発揮、放射能は怖いから逃げたが、選挙で落ちるのはもっと怖い。
<<山崎行太郎『それでも私は小沢一郎を断固支持する』(総和社)>>
この本は一種の逆説か、あるいは奇書だろう。
永田町の不動産屋、政治資金ごまかしの天才的ペテン師を支持するというのだから、山崎さんは、やっぱり奇人か。それとも深い魂胆と思惑があって論壇に一種あついポレミックを呼び込もうと企てて、この本を書かれたのか?
なんとも奇怪な書物であるが、執筆するのもたいへんな時間と労力が必要であり、山崎さんを、こうまで小沢に肩入れさせた動機、その背景は何だろうという推理のほうに、もっと興味が湧く。
合点がいくのは、山崎さんは江藤淳を尊敬している様子であり、江藤がなにを勘違いしたか、やたら小沢を褒めちぎっていた時期がある。最後は故郷に帰れと薦めて、小沢批判組に転じたものの、江藤にも一種奇人的言説があった。
だから山崎氏は言う。
「保守思想家、あるいは保守政治家は現状維持ではなく、その内側に革命的ともいうべき暗い情熱を秘めている」「小林秀雄も江藤淳も革命的情熱の所有者だった」ように、「小沢一郎にも『体制を変えて新しい日本を作りたい』という革命的情熱を感じる」そうである。
放射能が怖くて選挙区訪問からも逃げるように帰ってきた人に、ですか?
暗い情熱というより、暗い情念ではないのか。
評者(宮崎)とて20年ほど前だったか、小沢一郎が保守陣営にはじめて注目され始めた頃、淡い期待を抱き、さっさと自民党をでて新党を作ればよいのにと接近したこともあった。村松剛氏の(いまから見れば)最後の出版記念会のおりも、小沢を講師に呼んだこともあったっけ。
その後の政治行為を目撃しつつ、小沢に抱いた淡い期待は泡と消え、忽然として失望が広がり、やがて評者は彼にまったくの興味を失った。習近平来日時の天皇陛下との謁見ごり押しは、もはやこの人物は日本の政治家とは思えなかった。
黒子でも闇将軍でもなく、小沢は単なる壊し屋である。殺し屋ならまだしも、壊すだけの政治は建設的因子たりえず、政治の攪乱要素でしかなく、保守の新政に期待が集まると、かれは自ら作っておきながら、それを壊すのだ。
江藤淳については評者は殆ど評価しない。かれは文壇政治の老獪なる実践者であって、文学を論じながら政治らしきを語る面妖な芸人のたぐいだから。
杜父魚文庫
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