10039 大局観=富国・強靱への道 西村眞悟

昨日(七月四日)は、「覆面パトカー」について書いたので、昨日の特筆すべき「正論」に関して、本日書くことにする。
 
なお、今日も、国民から疎まれこころよく思われないことを承知の上で、職務として「パトカーと分からないパトカー」に乗務し、その結果、交通の安全を確保し交通事故減少に貢献している若き警察官諸君に敬意を表します。
私は、貴官らを批判したのではなく、必然的に人を騙す「覆面」という制度を嫌悪し、国民精神の矮小化の象徴であるかのように感じ、交通違反抑止効果の観点からも、「覆面」よりも公道において存在を明確にしている「正規のパトカー」が遙かに優れていると申したのである。
貴官らが全員、身を隠すのではなく、正々堂々の警察官としてパトカーと分かるパトカーに堂々と乗務し、その職務に精励し、以て、交通の安全と事故撲滅に貢献されんことを願う。
さて、昨日の産経新聞朝刊に京都大学大学院教授の藤井 聡さんが、まさに大鉈で我が国の課題を両断してみせた如き卓越した「正論」を書いている。
この藤井 聡論文を読んでいて思い至ったのは、幕末の藩政改革の大成功者である備中松山藩(五万石)の山田方谷先生(文化二年・一八〇五年~明治十年・一八七七年)の理財論である。
江戸期の藩政改革においては、アメリカ大統領J・ケネディーがスピーチで取りあげた米沢藩の上杉鷹山(一七五一年~一八二二年)が成功者として有名であるが、備中松山藩(現、岡山県高梁市)の山田方谷先生の実践こそ、最高の成功例である。
そして、藤井 聡さんの昨日の「正論」は、この山田方谷先生を髣髴とさせる重厚な論考であった。即ち、今成すべき事は、国土を強靱にする富国への道。
その為に、まず、デフレから脱却する。
その為に、まず、財政の大規模出動を実施する。
問題は、国民がこれを断行できる政治を如何に創造するか。この一点!
さはさりながら、と、専門家は反論する。
曰く、政府に借金が増大化した今、財政出動など論外だ。
曰く、規制緩和で民間活力を活用して成長せよ。
この反論を、藤井教授は見事に簡単明確に片付ける。「そもそも財政を悪化させた重大原因がデフレなのであり、それ故、デフレ脱却こそが抜本的な財政改善策なのだ」
「そもそも規制緩和で効率的な大企業がさらに効率化すれば、同業他社が各地で倒産し、デフレ不況は深刻化する」
このデフレ脱却に向けた一刀両断の論は、山田方谷先生が学んだ陽明学の祖である王陽明の「抜本塞源論」の論理である。
 
この藤井 聡教授の「正論」(七月四日、産経新聞朝刊)を是非ともお読みいただきたい。
以下、山田方谷先生のことを紹介する幕末の越後長岡藩を率いて奥羽越列藩同盟の中核として、山県有朋率いる圧倒的に優勢な官軍に壮絶な戦いを挑んで敵をくたくたにして戦死した河井継之助は、備中松山藩にまできて陽明学を山田方谷先生に学んだ。傲岸で容易に人に頭を下げない河井継之助は、学び終えて越後に帰るとき、門に立って見送る山田方谷先生に土下座し涙を流した。そして、越後で壮絶な最期を遂げる。
幕末に陽明学を学んだ者は、この河井継之助をはじめ、大塩平八郎、吉田松陰、西郷隆盛と、皆尋常な最後を遂げていない。
山田方谷先生は、幕末におけるこの陽明学の泰斗である。但し、弟子の河井継之助の壮絶な最期を知ってからは、陽明学を教えなくなったと言われている。
さて、二十世紀の経済学者のケインズは、公共投資と公定歩合と減税の三つを駆使して積極的に政府が経済に介入して不況を克服する方策を提唱した。我が国の戦後の復興も、これで成った。
そして、この方策を幕末に、日本の備中松山藩で実践して大成功を収めたのが山田方谷先生である。幕末の逼迫した藩財政の改革の責任者に就任したとき、山田方谷先生は何をしたのか。
財政出動による公共事業を開始した。即ち、「文を興し武を振るう」、つまり教育を増進し軍備を充実しようとした。そしてそれを実践した。
 
百姓を兵隊にして洋式軍事訓練で鍛える「奇兵隊」は、長州の高杉晋作の創案ではない。
山田方谷先生のオランダ語の号令で動く「奇兵隊」を京都から長州への帰途に備中で観た久坂玄瑞が腰を抜かし、高杉に報告したのだ。
後の戊辰の役で佐幕藩となった備中松山藩を長州藩は「奇兵隊」が恐くて攻め込まなかった。それ故、今も同藩のお城は木造のまま残っている。(幕末のことになれば、話しがすぐ脇道に逸れて申し訳ない)
 
(元に戻って)この山田方谷先生の方針に対して、当然、藩の財政専門家官僚群は反論し抵抗しようとした。つまり、教育や軍備に当てる金がありません、と。
これに対する山田方谷先生の反論は、金がないという理由で何もしなくて、今まで藩の財政改革はことごとく失敗してきた。その失敗の原因を説明してみよ。
財政の中に閉じこもって財政を観ずに、財政の外に立って財政を観よ。
この山田方谷先生の従来の惰性の中にいる財政専門家の反対に対する反論は、昨日の藤井 聡さんの「正論」の中の反論とそっくりである。
この山田方谷先生が財政改革実践を開始してから、藩の財政は急速に改善され、収入が増え藩は豊かになった。そして、旅人は備中松山藩内に入ったことを直ちに実感できるようになった。他の藩と違い、備中松山藩内は道路等の公共設備が整えられていたからである。
つまり山田方谷先生は、備中松山藩の強靭化と富国化に成功したのだ。そして、今度は、全日本が強靱化し富国化しなければならないと藤井 聡さんが昨日の「正論」で訴えた。
この富国への道を実践できる政権の一年以内の構築と創造!
これが我が国の未来を明暗を分ける重要課題である。
なお、西郷隆盛の遺訓には、明らかに同世代の陽明学の泰斗にして財政改革実践者の山田方谷に共鳴したものがある。
例えば、「租税を薄くして民を裕にするは、即ち国力を養成する也・・・」
この西郷さんの遺訓は、岩波文庫「西郷南洲遺訓」に納められているが、これを編纂した者は、山田 準という人で、山田方谷先生の養子の子にあたる人である。
西郷さんも山田方谷先生も、共に明治十年に亡くなる。何か激動の時代の両者の縁を感じて仕方がない。
杜父魚文庫

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