久しぶりに朝の散歩は下駄履きで行ってきた。足の親指と人差し指の間を鼻緒で広げて歩くのは心地よい。オヤジは貧乏作家のくせに着物は大島、下駄は高級の桐下駄と贅沢をしていた。その代わり食い物は粗食。客がきた時にだけすき焼きのご馳走だった。
実弟の漫画家・岸丈夫は着るものは何でもいい。つまりは粗衣だったが、食い物は贅沢だった。同じ兄弟でかくも違っていたのは面白い。
下駄のことである。敗戦後、東京・牛込の河田町の小学校に間借りしていた都立第四中学に下駄履きで通学していた。西武線の野方から新宿まで出て、新宿の街のはずれにある角筈から都電に乗って河田町というのが通学経路であった。
何故、下駄なのか。敗戦直後だから革靴などはある筈がない。どういうわけか、ゴム長靴が早くから出回っていたが、高値でとても手がでない。高円寺のヤミ市で買った軍靴は、さんざん戦地で使ったものらしく、水虫の匂いがする中古品。そこで下駄を使うことになった。
旧制高校生が高下駄を履いて高歌放吟するバンカラ風に憧れた面がある。高下駄は足を乗せる木製の板に、歯と呼ぶ接地用の突起部を付けるのだが、歯がすり減って低くなると自分で板を変えることが出来る。極めて経済的な履き物といえる。
亡友の高橋洋介元岩手県知事は北上東高校から東大に合格した秀才だが、大学に入っても高下駄を履いていた。内幸町の飯野ビルを高下駄でカランコロンと闊歩していたら、守衛から「うるさい」と注意されたそうな・・・。
下駄の歴史は古い。ウイキペデイアによると、古事記において、天の岩戸に籠もったアマテラス神の気をひくためにアメノウズメ神が「桶を踏み鳴らし」踊った記述があるが、裸足で伏せた桶を踏み鳴らしてもさしたる音にはならないだろうこと、木材や金属同士を打ち合わせ音を鳴らす行為は呪的意味をもつことから、アメノウズメ神は下駄を履いて桶を踏み鳴らしたのだという説がある。
これは、下駄は本来、呪的行為に使われる呪具であったという説の流れを汲む主張だが、遅くとも中世にはそのような意味合いは失われていた、とする説が主流である。それでも、甲高い音を立てて地を踏み鳴らす行為が呪術的意味で行われていた事例は、明治時代まで確認できる。
それはともかく足の親指と人差し指を鼻緒でひろげるのは、健康によいのではないか。太古の昔はいざ知らず、下駄という呼び名は戦国時代に成立したと推測されている。伝統的な下駄の文化を大切にしたい。
ウイキペデイア=一般的な下駄下駄(げた)は、日本の伝統的な履物。足を乗せる木製の板に、歯と呼ぶ接地用の突起部を付け(歯がないものもある)、眼と呼ぶ孔を3つ穿ち、そこに鼻緒を通す。足の親指と人差し指の間に鼻緒を挟んで履く。(歴史的には、人差し指と中指の間に鼻緒を挟む履き方もあった)。
呼び名の成立は戦国時代と推測され、下は地面を意味し、駄は履物を意味する。それ以前は「アシダ」と呼称された。(漢字は様々な字があてられていた。)
下駄の側面図日本には緒を用いる履物として、足を乗せる部分に木の台を用いる下駄、草や樹皮などの柔らかい材料を用いる草履(ぞうり)、緒が踵まで覆い足から離れないように踵の後ろで結ぶ草鞋(わらじ)の3つがある。下駄は中国及び朝鮮半島にもあるが、日本語の下駄にあたる言葉はなく、木靴まで含めて木履という。(一説では木靴のなかでもゲキ(木偏に支)と呼ばれる形状のものが、日本の下駄の原型になったという。)
人の足を載せる部分を台という。現代では、材は主に桐、杉が使われる。暖かい地方より寒い地方のほうが年輪が細かくなり、見た目に美しいため、東北地方の桐材は高級とされる。(糸柾目と称す)。特に会津の桐材は下駄の台としての評価が高い。杉では神代杉と大分県日田市の日田杉が有名。
台の下に付けるのが歯で、通常は前後2個だが、1個のもの、3個のものもある。一つの木から台と歯を作るものを、連歯下駄(俗称くりぬき)、別に作った歯を台に取り付けるのを差し歯下駄という。歯が一本の「一本歯下駄(高下駄)」は、天狗や修験者が履くイメージが強い。そのため、山での修行に使うとも言われる。「舟形」あるいは「右近」と呼ばれる、歯が無いものもある。 歯の材は樫、欅、朴(ほお)など。特に朴は樹種の中では高硬度で歩行時の摩耗が比較的少なく、下駄の寿命が長く、重宝された。『朴歯の下駄』という題名の小説や、バンカラ学生が履くのは朴歯の下駄、という時代もあった。また、磨耗した歯を入れ替える商売も存在した。
台には3つの穴を穿つ。前に1つ、後ろに左右並んで2つ。これを眼という。後ろの眼の位置は地域によって異なり、関東では歯の前、関西では歯の後ろが一般的である。
眼に通す紐を、緒または鼻緒という。鼻緒はもと、緒の先端部の足指がかかるところを意味したが、今では緒の全体を指すようになった。緒の材質は様々で、古くは麻、棕櫚、稲藁、竹の皮、蔓、革などを用い、多くの場合これを布で覆って仕上げた。色とりどりの鼻緒があることから「花緒」とも書く。
下駄の使われ方=かつて道路が舗装されていなかった時代には、雨などが降って道がぬかるむと、草履等では、ぬかるみに足が埋まってしまったが、高さのある下駄は、ぬかるみに埋まりにくかったため重宝された。
下駄は基本的に和服で履くが、正装ではなく、普段着の和服と組み合わせることが多い。浴衣の際は素足に下駄が基本である。また、洋装に下駄を履く場合もある。男子学生がファッションとして崩れた洋服(学生服)などに下駄を履いていることをバンカラと呼ぶ。
現代の日本では、和服が着られる機会が少ないのと同様に、一般的には履かれることは少なくなった。これは、東京オリンピックを契機に、それまで9割以上が砂利道であった市町村道にも急激にアスファルトによる舗装が広まっていったこととも関係していると思われる。舗装した道路で下駄を履いて歩くときにカラコロと音を立てて歩くと下駄の歯が異常に早く摩耗してしまうのが嫌われた事、後述するように騒音と受け取る人が増えたのが原因と考えられる。(ウイキペデイア)
杜父魚文庫
10041 オツな下駄履きでの散歩 古沢襄

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