壇ノ浦の決戦は消費増税法案の衆院通過で勝負がついているのが「小沢新党」には理解できないのだ。今後は選挙区への「刺客」や他党による“落人狩り”が進む。今は遠巻きにしているが徐々に新党包囲の輪は狭まり、平家の頭領・小沢一郎は祖谷のかずら橋の先に落ち延びるしかないのだ。新党新党と騒がしいが、その実態はお先は真っ暗の展望なき船出なのだ。
頼みの綱は右往左往の公家集団を率いる鳩山由紀夫しかいない。本人は徹夜で考えた「自民党野田派」という“悪たれ口”で首相・野田佳彦をこき下ろすしかない。「おじゃる。おじゃる」がどこにおじゃるかだか、これも明日をも知れぬ身なのだ。
何を勘違いしているのか小沢チルドレンが世論調査の新党への期待が「15%もある」と喜んでいるそうだ。政党支持率で民主・自民に匹敵するのだそうだが、全く理解していない。
「新党に期待するか」と聞くから朝日で15%、NHKで14%なのであって期待しないは朝日78%、NHK82%だ。「どの党を支持するか」の政党支持率調査なら新党はコンマ以下で判別不能がいいところだろう。事ほどさように錯誤も錯誤、大時代錯誤なのが新党「国民の生活が第一」なのである。なぜ自分が権力闘争に敗れたのかすら分かっていないのだ。
党名が象徴するものは柳の下に泥鰌が2匹いるという誤判断でもある。09年の総選挙に掲げたキャッチフレーズをそのまま使った。しかし誰の目にもマニフェストの破たんは明確であり、野田が消費増税に踏み切らざるを得なかったのもそこにある。
その破たんしたマニフェストにすがれば、小沢はもう一度風が吹くとでも思っているのだろうか。国民は「3年前にはだまされた。早く選挙にならないか」と思っているのだ。2度にわたって国民をだませると思っている政治感覚が疑われるのだ。
反消費税と脱原発、地域主権改革が旗印だが、まさにポピュリズムそのもので「風よ吹け」とばかりに、“第3極結集”の争点を投げかけたつもりなのだろう。小沢はマニフェスト至上主義だが、政権党にいる間、自らマニフェストを実行しようとしたとは寡聞にして聞かない。
逆に暫定税率廃止をひっくり返して、最初にマニフェストを破ったのは小沢自身ではないか。反消費増税も世論調査で反対が多いからの選択に過ぎない。次世代にツケを回さず、破たん直前の年金、医療を辛うじて支えるのに、他に方法があるのかは示したことがない。
脱原発の首相・菅直人への不信任案で自民党に同調しようとしたのは昨年夏のことではないか。今度は逆に脱原発を“活用”しようとしているのだ。まさに「政治家は次の世代を考え、政治屋は次の選挙を考える」を地で行くお方なのである。
地域主権も折から騒がれている地域政党ブームに秋波を送っている姿がありありだが、大年増どころか古希の婆さんの色目のようで背筋が寒くなる。石原慎太郎からは「死ぬほど嫌だ」と嫌われ、頼みの綱は大阪市長・橋下徹だ。
ところが大阪維新の会幹事長の松井一郎は11日、小沢との連携について、「我々の政策とは違う。その可能性はゼロ」ときっぱり絶縁宣言だ。反消費増税、反原発で「民主党政権には代わってもらう」と倒閣宣言をしていた橋下も「やっぱり野田さんはすごいですよ」と一転して野田をベタ褒め。田舎のあんちゃんのような節操の無さを露呈した。永田町では「小沢の秋波から逃げたい一心の発言」という見方が定着している。
こうして、小沢は新党結成史上でももっとも高揚感のない新党を発足させたことになる。武器は「野田内閣不信任案」を目指すくらいしかない。しかし、これにもジレンマがある。
不信任案が成立すれば野田は当然総辞職でなく解散を選択する。解散となれば小沢新党の候補たちは“草刈り場”になってしまう。寄せ集めながら衆院での野党第2党を誇っていても、解散が早ければ早いほど、新党崩壊も早いということになるのだ。
だから小沢は11日も不信任決議案や問責決議案の提出について「参院議員の良識的な行動を望みたい。それがどうしてもかなわない状況になってから、いろいろなことは考えるべきだ」と煮え切らない発言にとどまっている。よくよく冷静になって考えてみれば不信任案は新党の自殺行為であることが分かってきたのだ。
「党を統治できないような状況で、国を統治できるのか」とこれまた徹夜で考えた“名言”で鳩山は不信任案賛成をほのめかす。全国民が鳩山の「統治」がなくなってほっとしていることも分かっていない。ひょっとしたら鳩山は“超然的な超大物”かもしれないと思えてきた。
確かに鳩山ら離党予備軍から15人が加われば不信任案上程が可能となる。野党の賛成で可決できても、自民・公明両党にはチャンス到来だが、「小沢新党」だけは展望は開けない。それどころかつぶれる。鳩山も今度こそ除名となるが、離党すれば選挙も落選だろう。
波乱要因となっても空しいことが遅ればせながら分かってこよう。いや、ルーピーでは最後まで分からないかもしれない。
杜父魚文庫
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