本日はちょっと、日ごろ思う疑問点について率直に記してみたいと思います。もとより愚にもつかない与太話であり、読んでいただいても特に新しい情報も役に立つ実用性もありませんので、あしからずご了承ください。
さて、私のような生まれついての愚者には、世の中よく分からないこと、納得のいかないことばかりであるのはいつものことなのですが、その中でもこのところ、雑誌やネット上でよく見るある「陰謀論」について少し感想を述べます。
それは、一つは「国民の声が第一」の小沢一郎氏について何か批判的なことや皮肉を書くと、すぐバックには小沢氏を陥れたい検察や霞が関の意向があり、その代弁をしているのだろうと言われることです。
でも、少なくとも私は、検察の捜査が始まるずっと以前から小沢氏の脱法的な政治とカネの問題は看過できないし、その政策はデタラメでふらふらしているし、人間性にも甚だ疑問があると書いてきました。検察も霞が関も何の関係もありません。というか、私も仕事柄、さまざまな省庁の官僚と接触してきましたが、小沢氏が話題になったことなどほとんどありません。
話題になったとしても、「小沢氏が自民党を離党する際、竹下派の金庫からごっそりカネを持ち出したという話は、野中広務さんによると事実らしい」であるとか、まあそんな類のゴシップ話程度です。
またもう一つは、菅直人前首相が脱原発を主張し出してから、原子力ムラの資金を背景にマスコミが菅批判を始めたというものです。ですが、私が菅氏を同じ天を戴きたくないほど許せない、首相失格だと考え、そうした批判を書き始めたのは沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件での国民を欺いた拙劣かつ卑怯極まる対応を見てからの話です。
当然、原発事故をめぐる信じられないような、というか、どれだけ実態を書いても読者の良識・常識が邪魔をしてそのまま信じてもらえないほどひどい対応についても心底憤り、アレコレ書いてきましたが、別に脱原発路線だから批判しているわけでも何でもありません。
菅氏に関しては、多くの官僚から明瞭かつ具体的に、場面も含めて批判、悪口、罵詈雑言という形をとった「正論」を聞きましたが、それは個人的な被害にあった人、とんでもない場面を目撃した人、外国に大恥をかいた人……たちの経験談であり、これも原発利権がどうのこうのという話と結びつくとは、ちょっと考えにくいものです。
まして現在は、反原発派の人を中心に、「菅氏は反原発だ」→「反原発は正しい」→「ゆえに菅氏も正しい」といった、何の根拠もない三段論法がまかり通っているように感じています。
私自身はかつて科学の進歩と明るい未来の象徴であった鉄腕アトムや妹のウランが、どうしてそこまで恐怖の対象となるのかは理解できないところもありますが、反原発も一つの考え方だとして尊重するつもりです。でも、それと菅氏の原発対応を肯定することは本来、全く別次元の話だと思うのです。
あえて仮定の話をすれば、検察の捜査が仮になかったとしても、私はずっと小沢氏の政治家としてのあり方について批判や疑問をはさみ続けていたでしょうし、原発事故がなくても菅氏のことは「アレ」と呼んで糾弾し続けたことでしょう。
また、私がこの両者について何か書くと、私の文章の拙劣さも反省しなければならないにしても、すぐ「私怨からだ」「恐怖しているのだろう」と指摘されることも心外というか、不思議でなりません。
もちろん、私は事実、この2人のことを好きではありませんが、個人的に恨みを持つような関係ではありません。別に私の財産(そんなもの、ローンが沢山残ったマンションぐらいしかありません)を奪われたわけでもないし、何か執拗に嫌がらせやいじめを受けたというわけでもないわけですし。
私はただただ、この人たちは日本にとって有害無益、というよりもっと危険な何かであると確信しているだけで、政治の表舞台から退場してくれればすぐ存在すら忘れることだろうと思います。というより、そもそも思い出したくも考えたくもないし。
きょうは二つの例を挙げましたが、まことしやかに語られる「米中枢同時テロ陰謀論」をはじめ、あらゆる政治現象をすべて利権問題に結びつける「利権万能論」、民主党のおかしな点を指摘すると自民党支持者だと決め付ける「何でも二元論」等々、世の中に満ちあふれるステレオタイプと陳腐な決め付けに、本当にうんざりしています。
そして、それに私も片隅にいるマスコミが意識してか無意識的にか荷担している場合もあるので、なおさら空しくなります。人間社会とは何か、人の意識とは何かと、そんな若き日にいろいろ悩んだことが、今も解決できないテーマとして目の前に立ちふさがっているのでした。
杜父魚文庫
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