10103 犬を飼うということ 平井修一

人間と同様に、犬にとってもバランスのとれた食事と適度な運動は健康のために大切である。運動は散歩のことだが、犬にとってこれは一大イベントであり、食事と同様に大きな楽しみだ。他にやることがないのだから、気散じにもなる。
わが家の犬は、散歩の前に“威勢づけ”で煮干しをもらう。散歩は30~40分。人と出会うことが稀な遊歩道を散歩するから、コースは決まっているものの自由気ままに歩いたり走ったりしている。
散歩から帰ると犬は風呂場で手足、顔、お尻、お股を洗われる。そして“ご褒美”のササミジャーキーを食べてうとうとする。もう夕ご飯まで何もすることがないのだ。
梅雨になると散歩に難儀する。ちょっとでも雨がやむと出かけるが、時には雨が落ちてきて濡れることも珍しくない。犬は散歩しないと欲求不満になるから、こちらとしても一所懸命に連れ出すように努めている。
犬は11年前、当時高3(18歳)の長女と高2(17歳)の次女が買ってきた。小生はもちろん反対したが、カミサンが同意したのだろう、いつの間にか家族になった。
娘たちは「自分たちでちゃんと面倒を見る」などと言っていたが、2~3か月したら犬の世話は小生がやるようになっていた。寝坊の娘たちが早起きして散歩なんてできるわけがないのだ。
リタイアした今、犬の世話は小生の仕事になった。人間と同じで歳をとれば病気持ちにもなり、動物病院に連れて行ったり、薬をもらいにいくのも小生の仕事で、たまにごしごし洗うのはカミサンがやってくれている。
犬の11歳というのは人で言えば90歳前後のようで、やがて介護が必要になるだろう。GNP(元気、長生き、ポックリ)という理想形であればいいが、なかなかそうはならないだろうから、覚悟をしておかなければならない。
もう夫婦旅行で家を留守にすることもほとんどできない。動物病院に預けることもできるが、犬が可哀想だ。もっとも小生は旅行する気がないからそれは大きな制約ではないが、制約されていること自体は厭なものである。
犬を飼えば確かに楽しいし可愛いが、面倒を見るのは大変だ。安易に考えない方がいいと、先年、知人にアドバイスしたが聞く耳持たず、馬耳東風だった。やがては思い知るだろう。
杜父魚文庫

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