脱原発に賛成である。こんな危なっかしいものはないほうがいいに決まっている。反対するのは、パーフェクトに近い〈安全な原発〉が日本の技術力によって将来できると確信し、脱原発では工業立国・日本の土台が揺らぐと危惧している人たちだが、すでに少数派である。
民意の大勢は脱原発といっていい。しかし、直ちにゼロにするか、使えるものは使いながら(再稼働)、徐々にゼロに近づけるかで意見が割れている。そんななか、集会・デモの住民運動が勢いを増してきた。
毎週金曜日、首相官邸前を埋める抗議行動や、炎天下の十六日、東京・代々木公園で開かれた〈さようなら原発10万人集会〉(集会のあとデモ)は、党派性がない。十七日付の『毎日新聞』によると、ツイッターで知り、一歳の長女を抱き、四歳の長男の手を引いて集会に参加した埼玉県和光市の主婦(三十二歳)は、
「こんな場所に足を運ぶなんて、数年前なら想像できなかった」と語ったという。福島原発事故の恐怖が、普通の母親を突き動かしている。
ただ、一つだけ引っかかることがあった。集会の呼びかけ人の一人、音楽家の坂本龍一さん(六十歳)は、
「たかが電気のために、なんで命を危険にさらさなければいけないのでしょうか。国の未来である子どもの命を守りましょう。美しい日本の国土を守りましょう」と訴えたという。
「たかが電気……」という言い方でいいのだろうか。坂本さんも電気依存社会のなかで長年暮らしてきたはずだ。脱原発はいいが、脱電気というわけにはいかない。しかし、「たかが」と言われると、電気より命のほうが大事は当然として、電気なんか、と聞こえてしまう。
四十年前に原子力の危険に気づいたという京大原子炉実験所助教の小出裕章さん(六十二歳)も、著書『原発のウソ』(扶桑社新書・二〇一一年六月刊)のなかで、
〈原子力のメリットは電気を起こすこと。しかし、「たかが電気」でしかありません。そんなものより、人間の命や子どもたちの未来のほうがずっと大事です。メリットよりリスクのほうがずっと大きいのです〉
と書いている。坂本さんと同趣旨で、やはり「たかが電気」だ。この文脈でみると、「そんなものより」のそんなは電気のことを指しているようだが、電気の恩恵を軽視するような主張は同調できない。原子力以外の、代替エネルギーを開発するのは当然だが、脱原発と脱電気の混同を思わせる発言はおかしい。
◇政府にどう立ち向かう 注文型アピールに共感
それはともかく、私のような政治記者は集会・デモに共感を覚えながらも、政治力学的にみてしまう。同じ集会で、作家の瀬戸内寂聴さん(九十歳)は、
「政府への言い分があれば、口に出していいし、体に表していい。たとえむなしいと思う時があっても、それにめげないで頑張っていきましょう」
と呼びかけたそうだが、まったく同感だ。政府への注文型アピールになっていて、いまそれがもっとも必要な時である。
しかし、やはり呼びかけ人の作家、大江健三郎さん(七十七歳)の訴えは瀬戸内さんと大分違う。大江さんは、
「私らは侮辱のなかに生きている。原発大事故(の被害)がなお続くなかで、関西電力大飯原発を再稼働させた政府に、侮辱されていると感じる。政府のもくろみを打ち倒さなければならないし、それは確実に打ち倒しうる」
と怒りの声をあげた、対決型である。だが、政府のもくろみというが、野田政権の態度は脱原発依存を掲げながら毅然としたものではなく、揺れている。将来のエネルギー政策を議論する意見聴取会でも、選択肢として原発ゼロ、一五%、二〇〜二五%の三つが示されている。もくろみらしいものは透けてみえるかもしれないが、確たるもくろみになりえていない。
住民・市民運動のむずかしいところで、脱原発では民主党政権と対決一点張りでなく、折り合える余地を残している。そこを間違うと、運動は精彩を欠いていく。この際は、瀬戸内さんの政治性を買いたい。
また、最近は、首相官邸の抗議行動をみて、「六〇年安保以来だなあ」
と一九六〇年の安保改定阻止闘争を懐かしむ声をよく聞く。あのころデモに参加した学生はもっとも若かった組がいまはもう七十歳だから、現役はほとんどいない。
振り返って、安保騒動とは一体何だったのか。私は当時、大阪在勤の社会部記者三年生で、上京してみて、デモの規模のすごさに仰天した。
しかし、日米安保条約の改定の中身は、いまにして思うと騒ぎになるようなものではなかった。五五年夏の鳩山政権下だが、ワシントンで重光葵外相とダレス米国務長官の会談が行われ、岸信介民主党幹事長が同席したことがある。
この時、重光さんが、「アメリカが安保条約に基づいて日本内地でいろんな権限を持ち行動しているけれども、これは日本の国民の気持ちを害している。だから対等な条約にしなければいけない」
と大演説をぶったが、ダレスさんに、「日本にそんな力があるのか」
と一蹴された。いったんあきらめていたが、二年後首相に就いた岸さんが再提案し、こんどは米側が乗ってきた、といういきさつだ。対米自立のステップだった。結果は改定安保条約が批准され、岸さんは退陣した。
リベラル派の論客、宮沢喜一元首相はのちに、「あの騒動は、A級戦犯容疑者になった岸さんが戦前回帰を狙った逆コースと受け止められたのだろう。それが〈反岸〉の大衆運動のうねりになった」
と総括したが、一つの見方である。すっきりといかない。安保と原発はまったく違うテーマだが、国の基本政策にかかわる点では共通している。どう私たち大衆の側が立ち向かうか。パッションだけでなく知恵もいる。(サンデー毎日)
杜父魚文庫
10144 「脱原発」運動と「六〇年安保」騒動と 岩見隆夫

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