次の大災害、大事故がいつ襲いかかってくるかわからない。その時、トップリーダーはどう対応すればいいのか。
民間、東電、国会、政府の順で4事故調の報告書がすべて公表された。分量が350ページから640ページにのぼるので、すぐには全部を読みこなせない。
首相官邸による福島第1原発事故現場介入問題に絞って報告書を見ると、菅直人首相(当時)の評価はすこぶる低い。
<現場を混乱させ、重要判断の機会を失い>(政府)<時間を無駄にし、指揮命令の混乱を拡大させた>(国会)<無用な混乱やストレスにより状況を悪化させるリスクを高めた>(民間)<緊急時の対応で無用の混乱を助長させた>(東電)と、4報告書とも混乱の2文字が入ってくる。
菅は混乱の元凶とされ、そこから人災、さらには<菅災>とまで言われることになった。菅は、
「自分は理系学部出身で、他の閣僚に比べて原子力に<土地勘>がある」と自負しながらの介入だったというが、報告書を見るかぎり完全に裏目に出た。
しかし、これには逆の評価がある。まず、枝野幸男官房長官(当時)が、
「私は本当に3月11日の総理大臣が菅さんであってよかったと思っている。あれぐらいわがままで勝手で強引でという人間でなかったら、たぶん政府の機能が止まっていたのではないか」
と述べたことは当コラム(6月2日付)で紹介したが、ほかにもいる。その一人、大塚耕平副厚生労働相(当時)は、
「私も、あの時、菅さんが首相でよかったと思っている」
と言う。大塚は首相官邸地下の危機管理センターに厚労省の連絡調整責任者として出入りし、菅の動静を知る立場にあったが、その後、出版した著書「3・11大震災と厚労省−−放射性物質の影響と暫定規制」(丸善出版・12年3月刊)のなかで、
<3月15日、福島第1原発内にいた作業員、関係者を一時撤退させる案が検討されたものの、菅首相が撤退を認めず、残って事故対応に当たることを求めたという。断腸の思いで撤退を認めなかった首相にも、その指示を受け入れ、残って事故対応に当たった作業員、関係者にも頭が下がる。
この人たちがいなかったら、その後の展開はまったく異なっていただろう。わが国はさらに悲惨な事故を迎えていた可能性が高い。評価は後世に委ねられるが、時の首相としての決断は非常に重い意味を持っていた>
と書いた。東電全面撤退問題は報告書もマチマチで真相がはっきりしないが、一部撤退か全面かはともかく、菅が止めたのは間違いない。
また、細野豪志首相補佐官(当時、現原発事故担当相)も、昨年11月、民間事故調の聴取に対し、やはり撤退問題について、
「菅首相以外の首相があそこで判断を迫られた場合、判断できた人が誰なのか、私は分からない」と菅の対応を支持した。
枝野、大塚、細野とも、菅首相を補佐する立場上の発言とみられないこともないが、事故調とのこれだけの評価の違いは見過ごしにできない。政権の内部と外部の認識ギャップとも言える。
さて、肝心なことはこれからである。3・11から何を学び取るか。次の天災に遭遇した時、今回の過剰介入批判が念頭にあって、時の首相の決断、指揮が鈍るようなことがあっていいはずはない。
菅の功罪は、今後のために整理し直す必要がある。(敬称略)
杜父魚文庫
10154 「菅首相でよかった」の声 岩見隆夫

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