ロンドン五輪の女子柔道ではアメリカのケイラ・ハリソン選手が78キロ級で優勝しました。アメリカとしては柔道の初めてのオリンピック金メダルです。
そのアメリカの女子柔道界が実は女子柔道をオリンピックの正式種目にするために決定的な役割を果たしていた、というレポートの続きです。この回でこの報告は終わりです。
<<女子柔道を五輪種目にした米国人女性 消極的だった日本にも働きかけ「女子柔道の母」に>>
米国柔道界で、女子柔道のオリンピック正式種目化の運動での決定的な役割を果たしたのは、ニューヨークの女子柔道家、ラスティ・カノコギさんだった。
日大柔道部OBの鹿子木量平氏を夫とした彼女は、女子柔道を五輪の正式種目にするため文字どおり奔走した。1980年11月にはニューヨークのマ ジソン・スクエア・ガーデンで女子柔道の初の世界選手権大会を実現させた。ラスティさんはその大会の組織委員長だった。私財を投げ打っての献身の成果だっ た。
女子柔道を五輪の正式種目とするには、まず全世界の25カ国以上が加わる世界選手権の開催が前提条件だったのだ。私もこの大会を見たが、大盛況だった。合計27カ国からの女子選手が参加し、見事に五輪参入への前提条件を満たしたのだった。
米国女性がこの女子柔道のオリンピック化の運動の先頭に立ったことの背景には、1970~80年代の米国で、女性の権利を主張する風潮が強かった という流れもあった。だが当時の米国柔道連盟の主流派は女子柔道の国際化、五輪化には消極的で、ラスティさんは一時、孤軍奮闘の観もあった。
ラスティさんのその目覚ましい活動は『柔の恩人 「女子柔道の母」ラスティ・カノコギが夢見た世界』(小倉孝保著、小学館)という近刊書に詳しい。
このすぐれたノンフィクションは2009年に74歳で逝った彼女の生涯を柔道に絞りながら活写している。第18回小学館ノンフィクション大賞を受けたというこの書は、世界の柔道と、そこに絡む多数の人間像を見事に描いた面白い本である。
私も米国での柔道行事でラスティ・カノコギさんにはたびたび会い、話をしていた。近年は骨髄腫という難病を押して、夫の量平氏に付き添われ、柔道関連の集いに参加する姿が痛々しかった。
だからロンドン五輪での女子柔道試合の熱戦の光景は、米国女子柔道を背負う形で女子柔道の五輪参入を実現させたラスティさんの軌跡を私にも自然と想起させるのだった。(終わり)
杜父魚文庫
10187 アメリカのオリンピック女子柔道への貢献 古森義久

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