「日米安保条約に賛成」と述べただけで、保守反動とか、軍国主義だというレッテルを貼られる時代が日本では長く続きました。
「憲法改正」論は右傾化、右翼だというのです。「中国共産党は独裁と弾圧の党」という主張も危険な民族主義者だとされます。
「アメリカは正しい」といえば、無知な右翼という断定がすぐに飛んできます。
いまでなら、ごく普通のこと、民主主義を信奉し、全体主義を批判すること、日本の国益に合致すること、とみなされる当然の認識がかつては「危険な右翼思想」だなどとされたのです。
こんな現象を「革新幻想」と呼ぶのだそうです。
この幻想がいかに作られ、いかに日本国民を圧したか、竹内洋氏がその点を客観的に分析した書が吉野作造賞を受けました。
この書は日本での革新幻想は死んではおらず、大衆幻想という形で構造を残している、と総括しています。おもしろそうな本です。この本に特別な賞を与えるという読売新聞社もなかなかしゃれています。
<<「革新幻想は形を変え徘徊している」>>
■第13回読売・吉野作造賞贈賞式で竹内洋さん
「革新幻想は表面的には消えたが、形を変えて日本社会を徘徊(はいかい)している」人文・社会科学分野の優れた評論に与えられる読売・吉野作造賞。第13回の受賞者となった教育社会学者で関西大学東京センター長の竹内洋(よう)さん(70)は、10日に東京・丸の内のホテルで開かれた贈賞式でそう語った。
受賞作は、論壇誌「諸君」「正論」での連載をまとめた『革新幻想の戦後史』(中央公論新社)。「左翼にあらざればインテリにあらず」といった戦後の知的空間が醸成された背景を、膨大な文献 と証言で描き出す。選考委員会座長の猪木武徳(たけのり)・青山学院大特任教授(66)は祝辞で「竹内さんは東京生まれだが、言葉に関西人の軽みがあり、 表現力豊かに物事の核心を突く」とたたえた。
革新幻想とは、戦後の大学を中心とした知識人の周辺にあった「左は良くて右は悪い」という 理屈抜きの空気のようなもの。竹内さんはあいさつで、自身の学生時代に覚えた違和感を「たとえるなら、大阪のこてこての居酒屋に行って『俺は巨人ファン だ』と言ったらどうなるか。そんな感じだった」と振り返った。
東西冷戦が終わり、革新幻想はついえた。しかし、現代日本はより難しい思 想状況にあると竹内さんはみる。「大衆幻想という形で(革新幻想の)構造自体は残っている。革新幻想と違って対抗集団がなく、大衆という“みこし”の奪い 合いに歯止めがきかない分、こちらの方が手ごわい。もう70歳だが、受賞を励みに勉強し、考えていきたい」。朗らかな抱負に、約500人の来場者から盛大 な拍手が送られた。
<革新幻想の戦後史>
内容紹介=左翼的でなければ相手にしてもらえない雰囲気は、戦後、どのように形成され変質したのか。渦中を見てきた社会学者が自分史として綴る
内容(「BOOK」データベースより)・・・戦後社会では、さまざまな空間を革新勢力が席捲していった。しかしそうした雰囲気は、多分に焚きつけられ、煽られたものであった。誰が、どのように時代の 気分を誘導したのだろうか。また、それはどのように、その後のねじれた結果をもたらしたのか。膨大な文献資料から聴き取り調査までを駆使し、今につながる その全貌に迫る。
杜父魚文庫
10202 革新幻想はなお残っている 古森義久

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