10236 相性だけではなさそう 岩見隆夫

言葉の妙、言葉の力を感じないわけにはいかない。
<近いうちに>というなんの変哲もない5文字によって、きわどい消費増税政局が急転直下、落着した。衆院解散がいつになるかはともかく、次回は、
<近いうち解散>のニックネームで政治史に刻まれるに違いない。
政界ではこんなドラマがごくまれにある。野田佳彦首相は8日午後5時半からの民主党両院議員総会で、ぎりぎりの重大局面について語った。
「自民党の関心事は、一体改革(消費増税法案)実現後の解散時期の明示だ。しかし、首相の専権事項として、時期の明確化はどんな事情があってもできない」
と断言しながら、すでに1時間前、谷垣禎一自民党総裁に携帯電話で最終案を伝えていたのだ。<しかるべき時>から<近い将来>を経て、<近いうちに>。決裂に踏み切りかけていた谷垣が、一転乗る。
時期の明示ではないが、暗示と言っていい。しかも<将来>では漠然として遠近が定まらないが、<うちに>となると、ぐんと接近してくる。
話し合い解散に準じるこのケースは、過去に一度もない。首相の専権は少し削り取られた。野田がここまで歩み寄り、谷垣が不安を残しながら、合意した裏に何があったのか。
3カ月前、「毎日新聞」(5月13日付)の特集・Sストーリーが1面トップに、
<実るか その恋>と意表をつく大見出しをつけたのが思い起こされる。野田、谷垣の両党首は相思相愛という筋立てで、谷垣は当時、
「野田さんとはケミストリーが合う」と講演で語ったそうだ。相性がいい、ウマが合う、といったニュアンスの感覚的な英語だ。
<ケミストリーだけでは当然、行き詰まる。2人がこれ(消費増税)を昇華させるには、タイミングと果断な決断が決め手となる>と特集は結んでいた。そして、昨10日に、増税法は成立、昇華させることができたのだ。
ところで、野田が政権奪取の直前に著した「民主の敵−政権交代に大義あり」(新潮新書)によると、初めて政治を意識したのは、3歳の1960年10月だったという。
東京・日比谷公会堂で浅沼稲次郎社会党委員長が右翼少年に刺され、眼鏡を飛ばして倒れるシーンを白黒テレビで見ていた。母親に、
「なんで、あのおじさんは殺されたの」と尋ねると、母親が、
「政治家って怖いお仕事なのよ」と答えたのを何となく記憶している。3年後、ケネディ米大統領が暗殺され、野田は通っていた保育園で知る。
<日本でも外国でも政治家は命懸けだな>というイメージが幼児体験として強烈にインプットされた、と書いている。
だからこそなのか、危地に飛び込むというより、政界入りして行きついた境地は<中庸>だという。社会主義や新自由主義に振り回されることなく、落ち着くところに落ち着く。
一方の谷垣。東大に8年も在籍し、東西の書物を読みふける。政界ではまれな教養派だ。なかでも中国古典、「易」「唐詩選」「史記」「論語」「大学」そして「中庸」も、片っ端から。「易」の
<憧憧(しょうしょう)として往来すれば、朋(とも)爾(なんじ)の思いに従う>が気に入っている。心定まらないままにうろうろ動いたって、ついて来るのは結局、やじ馬みたいなものしかいない、の意。
相性だけでなく、何か知的に響き合うものが一気決着を誘った気がする。(敬称略)
杜父魚文庫

コメント

タイトルとURLをコピーしました