ラテン語でアニマ(anima)という言葉がある。霊魂・生命といった意味である。このアニマから発したアニミズム(animism)の語は様々な霊魂に対する信仰を指している。
19世紀にイギリスの宗教・人類学者E・B・タイラーが唱えた学説だが、タイラーは死や病気、幻想や夢などの経験から、身体には霊魂があって、それが自由に離脱することを類推している。
これは未開社会に顕著であって、宗教文化の原初的形態であるとした。イギリス人であるタイラーは、アニミズムは、未開民族の宗教であって、精霊崇拝は多神教に発展し、一神教になるという”進化主義”を唱えている。
キリスト教が先進のものという欧米的視点が根底にあって、アニミズムは原始的な未開社会のものであると考えである。ところが一神教の世界はキリスト教だけでない。イスラム教も一神教であり、中世の十字軍のように宗教戦争でぶつかり、現代ではキリスト教とイスラム教世界が激しく対立している。
いまではタイラー学説の進化主義よりも、霊魂を信じることは宗教の基本的な観念とする説が多い。もちろん無宗教の世界もある。
ひるがえって日本は多神教の世界に区切られる。13日から入ったお盆の季節は、墓参りの風習を伴うから、仏教の行事と認識されているが、仏教の教義で説明できない部分がある。日本古来の古神道における先祖供養の儀式や神事の影響もある。お盆の起源も分かっていない。八世紀ごろから夏に祖先供養を行うという風習が確立されたと考えられている。
現代人は霊魂の存在や、祖先供養の心が希薄となっている。戦後はその傾向が顕著なっているが、都市生活者の間でもお正月には神社参拝をしたり、マイカーにお飾りをつけたりする。お盆の季節になれば、高速道路や新幹線は帰省ラシュで混雑する。
高度のハイテク社会で生きているようだが、無意識にアニミズムの伝統を引きずっている。文明民族でありながら、言霊意識が共存して継続している国なのである。盆踊りのルーツは、霊魂や怨霊を鎮める行事から発している。東北の夏祭りが盛んなのは、われわれ日本人が伝統文化の国にいることを認識する機会だといえる。
ラフカデイオ・ハーン(小泉八雲)は、キリスト教の一神教支配から逃れて、東洋に新しい心の天地を求めたことで知られる。
西田幾太郎氏は『ハーン氏は万象の背後に心霊の活動を見るといふ様な一種深い神秘思想を抱いた文学者であつた。氏の眼には、この世界は固定せる物体の世界ではない、過去の過去から未来の未来に亙る霊的進化の世界である。』と述べている。
この傾向は、長い歴史と伝統を有する日本文学について、米国やカナダの研究者が「日本文学に流れるアニミズム」として、志賀直哉、泉鏡花、川端康成、三島由起夫の作品を盛んに翻訳して、研究テーマとしている。一神教世界の中で日本文学が注目されているのは興味深い。
杜父魚文庫
10247 アニマを信じる文明国家・日本 古沢襄

コメント