「日本はありがたい国で、いろいろな価値観を認めている。しかし、いまは民主主義が欠点をさらけ出していて、いちばん気楽なのはニュースキャスターだ。
政治家はそうはいかない。だが、残念ながら自分の価値観だけで生きようとしている。日本人の心の底にあるもの、それは古典を読めばわかる。私たちはいま超党派で<古典の日>制定の準備をしているところだ」
と自民党の伊吹文明元幹事長が切々と訴えた。伊吹が主催する毎夏恒例のサマーセミナー、会場の国立京都国際会館には学生の姿が目立つ。
3日、開かれた29回目のテーマは<日本人の心根・雅(みや)びを考える−−古典に学ぶ>だった。芳賀徹東大名誉教授ら4人の講師が、東西の幅広い古典論を語った。
さて、<古典の日>、きっかけは08年11月1日、同じ国際会館でにぎにぎしく催された<源氏物語千年紀>の記念式典である。呼びかけ人の瀬戸内寂聴、ドナルド・キーンが記念講演し、天皇、皇后両陛下が出席、この日を<古典の日>とする宣言が出された。
直ちに<古典の日>推進委員会(会長・村田純一京都商工会議所名誉会頭)が組織され、法制化が不可欠として、文部科学相の経験もある京都出身の伊吹に協力を求めた。
伊吹の呼びかけで、昨年暮れには<古典の日>推進議員連盟が超党派で発足、会長に福田康夫元首相、顧問に森喜朗、鳩山由紀夫両元首相、輿石東民主党幹事長と伊吹が名を連ねた。すでに<古典の日に関する法律案>(祝日ではない)を議員立法で国会に提出ずみ−−という経緯である。
ところで、政治家と古典はつながりにくい。<千年紀>の準備会で、哲学者の梅原猛は、
「源氏物語は京都の平安文化の大遺産で、世界に誇れる。『美しい国』を言う安倍首相(晋三・当時)には、原文でなくてもせめて寂聴訳を読んでいただきたい」
と発言したという。先入観として、安倍ら政治家は源氏に無縁、とみられている。しかし、昔のリーダーは古典に親しんでいた。吉田茂元首相は、
「抽象的な議論は西洋に学ばなければならない。しかし、漢詩を含めて、我々の日常生活に関することとか、人間と人間の交渉の上でのことならば、何でも漢籍に求められる気がする」
と語っている。親英米派の吉田が意外にも中国古典重視だった。
また、岸信介元首相も、A級戦犯容疑で巣鴨拘置所に収容されていた時の「獄中日記」によると、「孟子講義」「論語読本」などやはり漢籍を集中的に読んでいた。
<古典の日>制定をもっとも喜んだと思われるのは、政界の読書家3指に入る大平正芳元首相だろう。
<真に日本的なもの、我々が誇りと自信を持ちうる固有の日本思想とは一体何か、という課題は政治、経済、さらに深く文化の世界においても発掘され、確立されていないのが現状だ。
従って、日本ほど刊行物の多い国はない。自然日本人は乱刊・乱売・乱読になり、虚(うつ)ろな精神の渇きだけがいつまでも残る。乱読は慎もう。読みかつ写すほど値打ちのあるものを探そう>(1965年執筆「私と読書」)
と大平は呼びかけた。中曽根康弘元首相も言っている。
「日本のアイデンティティーとは何かを探すのは、京都がいちばんいい。西田幾多郎、田辺元、和辻哲郎ら哲学者もいた」
京都の出番かもしれない。(敬称略)
杜父魚文庫
コメント
奇しくも今日、谷崎潤一郎さんの源氏物語を注文したところ。日本の美しい文化をもっともっと知りたいです。