吉田兼好の「徒然草」に、「家の造りようは夏を旨とすべし、冬は如何なる処にも住まる」、という一節がある。
吉田兼好の昔も、夏の暑さには辟易していたのであろう。それ故、日本の昔からの民家には、風の通り道を考慮に入れたりして、涼をとる工夫がしてある。また部屋も、柱という木とふすまという紙で空間を作るだけで密閉構造にはなっていない。
こういう構造では、夏はよくとも、冬は火鉢や炬燵で指先や足先の暖を取るだけしかできず、セントラルヒーティングなど不可能である。つまり冬は寒い、年寄には大変だ。
しかし、冬はつらくとも、夏には涼をとれる造りにしておくべきだと吉田兼好は書いている。
では、現在の家の造りはどうであろうか。高台から、東京や大阪という都会を眺めれば、果てしなくマンション群が広がり、そこに人々が住んでいる。
その家の造りようでは、夏にクーラーを入れなければ熱中症による死者が出る。マンションの家々は、密閉空間のなかで空調があることによって涼と暖が得られて居住性が確保されている。その涼と暖は、風や炭ではなく電力によって確保されている。電力によって生存が確保される空間に人々が住むようになっている。
つまり、言うまでもないが、現在社会は、電力が途切れることなく供給されることを当然の前提にして成り立っている。
そこで、民主党が三年前に掲げて票を集めた標語である「生活が第一」に関してであるが、夏の都会の「生活が第一」とは即ち「電力が第一」ではないのか。
従って、原子力発電は現在の日本に必要であると言っている私こそ、「生活第一」を掲げる資格がある(決して掲げないが)。 「生活第一」を掲げながら、反原発が票を集めるという理由で、反原発を応援する民主党の鳩山、菅は、実は偽善師、ペテン師で、党名に「生活が第一」を掲げた徒党も同じ。
昨年の夏、福島第一原発周辺の双葉町から九百名の方々が猪苗代湖畔のホテルに避難させられた。そのホテルで、私は国政の所見を述べる機会を与えられた。
私の話が終わると、双葉町避難民自治会会長が挨拶に立たれてこう言われた。
「原発の放射能ゆえに郷里を追われた我々の前で、原子力発電は日本に必要ですと言い切ってくれたことに敬意を表します。
実は、我々も原子力発電が日本に必要だと思ったから郷里に発電所が建設されることに納得していたのです。金をもらったから納得していたのではありません。」
次に私が当然の質問した。
「放射能が原因で体の障害を訴えておられる方はおられますか。」
「一人もおりません。むしろ、七十六歳の私を含め、みな元気になっております。」
この時私は、我が国を真に支えるえらい人々に接しているのを感じた。このような物言わぬえらい人々に接すると、クーラーと冷蔵庫のある部屋から首相官邸周辺に出向き、大勢で反原発を訴えてた後、冷えたビールを飲んでクーラーの家に帰る人々や、彼らを応援に出てくる首相経験者は、軽佻浮薄が歩いているように見えてくる。
ところで、次は、久しぶりに会った親友との昨晩の会話。
「俺は街頭で、原子力発電は日本に必要だ。反原発は、日本の衰退を招く、と演説するつもりだ。」
「お前やめとけ、理屈やない、感情的な反発を招くぞ、票が逃げていくぞ」
また、次は、世話になっている内科のドクターとの対話。
「先生、低線量率の放射能は、体にいいですねー、昨年、放射線医学専門のドクターとともに飯舘村に行き、ドクターに指示されて六マイクロシーベルトのところに小一時間立って深呼吸をしているととても爽快になりました。
低線量率の放射能は体にいいですよ、医学も放射能抜きには考えられないじゃないですか。医学の世界から、放射能にびくびくするなと発信してくださいよ」
「西村君、それあんまり言わんほうがええんや」
・・・と、言うわけで、エネルギーに問題に関して、反原発への批判を封じる妙な言論規制が働いている。そして、ある日気が付けば、我々の生活も国も、衰退の下り坂に入っていて下降してゆく。これも我々を覆う一つの危機だ。
吉田兼好は、物言わぬは腹ふくるる、と書いたが、原子力発電に関して、腹ふくるる人は多いのではないか。
ところで、私は、この暑い夏、もう一つ、腹ふくるる経験をしている。それは、今まで使っていたコンピューターが、インターネットに接続できなくなっていること。今朝も、六時前から奮闘しても接続できなかった。時事通信も発信が不自由になったが、メールが読めなくなり発信できなくなっているのが腹ふくるることだ。
ところが、コンピューターはだめでも、家のほうは大丈夫だ、夏用にできている。つまり、雨と風が自由に入ってくる。大雨の日には洗面器とバケツを家の各所において雨だれを受ける。
したがって、クーラーのない部屋で汗だくになって寝ているが爽快だ。諸兄姉、暑さに負けず、がんばりましょう。この夏から来年の初夏までが、我が国の運命を決する歴史的な限られた時間です。
杜父魚文庫
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