18日の朝、TBSの「アサズバッ」とやらに私が最も嫌っている民主党幹部の一人、福山哲郎が登場していた。これだけでも見るに値しないのだが、聞いてしまった。みのもんたは議論を今回の「強制送還」に持っていって、それを是とするか非とするかを「イエス」と「ノー」のカードを挙げさせて問うた。
福山は当然「イエス」であり、山本一太は勿論「ノー」だったのは頷けたが、岩見隆夫長老は「イエス」で「あれしかないだろうと曰ったのはやや意外だった。その訳知り顔が印象的だった。それはそれとして、福山と山本の間では瞬間的にかなり色をなした論争となった。
すると、果たせるかな福山は過去の小泉政権当時の例を挙げて、「その先例を作った自民党がノーというのはおかしい」と例によって例の如く前政権のせいにした。みのはそれ以上紛糾しないようにして話題を変えたが、私が福山を嫌悪するのはこの姿勢である。
自分たちは絶対間違っておらず、前政権が誤ったからこうなったという責任逃れで自説を完全に述べないのである。
この手法を用いる民主党の三悪は、ソフトで学歴の高さのみを偲ばせる大塚耕平、尊大なだけで何時も議論の内容空疎な渡辺周である。彼ら三名が代表するように、民主党の連中は自己の主張を明確に述べずに責任を他人に転嫁して逃げる姿勢しか知らない。
海上保安庁に一件のビデオの公開を止めさせ、入管法違反にしか問えないのであるから強制送還しかできないと言って、そもそもハナから無条件釈放をを言い出していた中国にほんの少しでも恩を売ることになるだろうか。
それとも、媚中派の巨頭だった小澤一郎が去った後では、何ら裏交渉のパイプもなくなったということを表してしまったのだろうか。私には無条件降伏をした弱腰にしか見ないが。みのの時間では「今後も同じような集団が繰り返し尖閣に来るか」と問いかけても「イエス」は山本とゲストの富坂聡だけだった。
尤も富坂は、あれだけの人口を抱えた国であるから、何時何処から同じ企みをする者が出るかは見極めが付かないという意味での「イエス」だと弁明した。
私は今回の連中が単独犯か何等かの使命を与えられたか位は訊問してあるとも思えないのが、野田政権の対中国の弱腰の表れであると思う。中国政府が意図的に次回の企みをする者どもを止めると思うか。
中国が「よくぞ要望通りに送還して下さいました。二度と過ちは繰り返えさせません」と言うとでも思っているのだろうか。あれでは弱腰プラスお人好しであり、外交が何たるかを知らない田舎者の集まりであろう。ところで、福山如きは兎も角、外務省は何をしていたのだろうか。
杜父魚文庫
10283 「アサズバッ」の「イエス」と「ノー」 前田正晶

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