10291 書評「二冊の東京大空襲記録」  宮崎正弘

<<NHKスペシャル取材班『ドキュメント東京大空襲』(新潮社)
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NHKスペシャル取材班 + 山辺昌彦『東京大空襲 未公開写真は語る』(新潮社)>>
この二冊はセットである。
第一級史料として後世の歴史家は愛読するかもしれない。戦後67年も経って東京大空襲の記録を撮影した貴重な写真が発見された。どうして、かくも長く存在が知られなかったのか。それは陸軍の宣伝機関だった「東方社」のカメラマン達が撮影したため戦後すぐの公開が躊躇われたうえ、GHQが入ってきたので焼却され、あるいは散逸、GHQにとっては『不都合名』写真でもあったからだろう。
まもなく公開される水島総監督の『南京の真実 パート?』は米国アーカイブとかけあっての初公開のフィルムが多数挿入されている。
評者(宮崎)も知らなかった東京裁判でのアメリカ軍人の日本擁護の場面がある。これは記録に採用されていないため、知らなかった。多くの歴史家も学者の気がつかなかったフィルムがやまのようにあるにもかかわらず、どれだけ交渉しても、まだ米国が提出しない証拠写真やフィルムは山のようにある。
日本人にしられたくない米国側の「不都合」なフィルムである。
さて昭和20年3月10日の東京大空襲は犠牲者およそ10万、負傷者40万人。そして被災者が百万人。原爆の凄まじい犠牲をはるかに超える大殺戮だった。焼夷弾とは化学兵器であり、この非人道的兵器を無差別に使用することに米軍幹部は躊躇いをみせていない。
この歴史上、かってなかった犯罪的空爆ならびに広島、長崎の原爆投下。この犯罪を隠蔽し、すり替えるには日本軍が同じように残虐で、南京で30万人を殺したというでっち上げの物語をつくる必要があった。『南京大虐殺』なる架空のはなしも、蒋介石国民党とアメリカの共同によるでっち上げ、というよりアメリカ主導である。
2011年、偶然が重なって当時の写真583枚がでてきた。NHKに持ち込まれた。爾後、NHKのなかに特別チームが作られ、写真に写った少女を捜し出したり、米国へ飛んで攻撃側軍人の生き残りの証言を集めたりした。
従来の東京大空襲の写真は下町、とくに江東区、江戸川区のものが多く、死者十万と言われた。今度、われわれの眼前にでてきたのは、原宿、泉岳寺、大田区(当時は荏原区)、なかでも銀座の無惨な焼け跡、慶応大学、そして東郷神社の被災。これが『無差別爆撃』ではなく、最初から無辜の民を殺戮するための計画的空爆であったことが、二重にも三重にも証明されたことになる。
ルメイ少将は空爆の司令官だが、なんと、この男に日本政府は勲章をさしあげている。そしてルメイの背後にあって「空軍独立」のために東京を空襲して大虐殺を計画し、実践したのがアーノルド大将だった。
そのアーノルドの背後にあったのが、フランクリン・D・ルーズベルトと後継大統領で人種差別のハリー・トルーマンだった。ブーバー元大統領がFDRを「狂人」と呼んでいたことは小誌でも紹介した。
カーチス・ルメイは「好戦的で残忍」という評価が米軍内にもあり、前任者などは低空からの焼夷弾爆撃は非人道的と批判していた。ルメイはベトナム戦争でも北爆を進言したうえ、ウォレス知事が『アメリカ独立党』で大統領選に挑んだときは副大統領候補だった。1964年、佐藤政権は『自衛隊の拡充に貢献した』として、このルメイに旭日大賞を叙勲した。
ヘンリー・アーノルドは効率的殺人計画をたて「日本の降伏を早めた」として、空軍元帥にまで上り詰めた。持病の心臓疾患のため、戦後五年も経ずに死んだ。
なおこれら二冊でセットの基調な記録本だが、記述の基本スタンスが「太平洋戦争史観」であり、そのうえ反戦平和的リベラリズムが基盤にあるので、首をかしげたくなるような自虐史観の表現個所が散見される。
杜父魚文庫

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