10303 日本が尖閣防衛ですべきこと 古森義久

尖閣諸島の領有権を不当に主張する中国の動きがいままた注視されています。中国各都市での反日デモも気になるところです。
では日本側は尖閣諸島を守るためになにをすればよいのか。具体的な政策提言を改めて強調したいと思います。
私がすでに日本ビジネスプレスの連載コラムに発表し、当ブログでも引用した提言ですが、事態の緊迫を考えて、ここでまた改めて一つにまとめて発表することにしました。
日本は中国の尖閣への動きにどう対応すべきなのか。ワシントンでの米国側の考察や意見をも踏まえながら、私自身の見解を述べてみよう。
まず第一に日本が取るべき行動は、尖閣諸島の実効統治の強化である。
自国領土を自国固有の領土として確保するためには、当然ながら、その統治を内外に鮮明にしなければならない。ごく自明の基本である。だがわが日本政府はその自明な措置さえをも長年、避けてきた。
日本政府は尖閣に対しては、「中国を刺激しないため」という理由で日本国民の接近や上陸を長年、禁じてきた。灯台の建設まで阻んできた。つまり尖閣の統治をあえて明確にしないという政策をとってきたのだ。
だがその結果はどうだったか。
2010年9月には中国漁船が尖閣付近の日本領海に堂々と侵入し、わが海上保安庁の巡視船に体当たりした。その前後から中国の漁業監視船と称する艦艇が頻繁に尖閣領海に侵入するようになった。しかも中国当局は尖閣諸島を中国領土だとする宣言をますます先鋭にしてきた。
最近では沖縄でさえ日本領土ではないという趣旨の中国政府高官らの言明が目立ってきた。中国側は日本がいかに「刺激しない」ための宥和策をとっても、尖閣を自国領土だとする主張を薄めはしないのである。いや逆に、その主張を強めたといえるのだ。
「中国を刺激するな」論の欠陥は他の実例でもいやというほど実証された。東シナ海の海洋資源をめぐる日中紛争である。日本と中国は排他的経済水域(EEZ)の境界線が競合する海域での石油やガスの開発をめぐって、主張を衝突させた。
日本政府は「中国を刺激するな」思考から、その海域での資源開発を日本企業に対しては禁止したのだった。だが中国は政府機関自体がどんどん開発を進めてしまった。しかも日本政府はその中国の動きを目前に見ながら放置したのだった。
だから「中国を刺激するな」論の背後には、場合によっては紛争の核心である尖閣の主権を譲ってもよいとするような思惑がにじんでいるといえる。中国を反発させない。中国を刺激しない。こんなことが日本側の最終目的ならば、そもそも尖閣諸島の領有権でも、東シナ海でのガス田開発の権利でも、中国の要求どおりに譲り渡してしまえば、よいことになる。
だが尖閣は日本固有の領土であり、その保持が日本国民のコンセンサスである。だとすれば、「中国を刺激するな」論を排して、日本の尖閣諸島での実効統治を強化せねばならない。
東京都による購入も、国有化も、その目的に沿った措置として歓迎できるだろう。
第二には、尖閣諸島の防衛強化である。
中国は他国との領有権紛争では、決して譲歩しない。相手が妥協したからといって、中国も妥協するという発想はツユほどもない。多国間の交渉で紛争を解決するという方法も排除する。国際機関の調停や裁定にも一切、応じないという方針は中国政府の公式政策として言明している。これらの特徴はこの連載コラムの前回までで伝えてきたとおりである。
国家同士の争いで、一方が絶対に譲歩も妥協も国際調停も排除するとなると、解決策としては他方だけの全面的な屈服、あるいは力の行使だけが残される。でなければ、両国間に「永遠の摩擦」が続く。中国からすれば、全面的に屈服しない相手には軍事力行使という手段で自国の主張をのませようとする方法だけがオプションとして残ることにもなる。
現実に中国は自国が主権を唱える外国統治の領土に対しては、軍事力を容易に行使してきた。中国が領土紛争で軍事力を使う「敷居」はきわめて低いのである。
これまで書いたように、中国海軍は1974年、南ベトナムが統治していた南沙諸島に軍事攻撃をかけ、いくつかの島を奪った。1994年には中国軍はフィリピンが統治していた中沙諸島のミスチフという環礁を襲って、奪取した。
南ベトナムからは米軍が撤退し、フィリピンでは米軍がスービック基地を放棄して、いずれも防衛面では弱体になった時期だった。中国は領土紛争では軍事力に依存し、しかも相手の軍事力が弱いと判断した際に攻撃に出るのである。相手が強ければ、軍事力は使わない。歴史がそんな軌跡を明示しているのだ。
だから日本も尖閣諸島を日本固有の領土として保持したいならば、その防衛のための軍事力を強く保たねばならない。尖閣への自衛隊の常駐も、基地建設も、適切な手段だろう。
尖閣防衛の軍事力を強めることが、中国の軍事攻撃を抑える抑止力となるのである。韓国が日本領土の竹島を不当に占拠して、軍事基地まで建設してしまったことが、日本側の士気をどれだけ弱くしたことか。その実例をみれば、尖閣に自衛隊を配備することの対外的な効果がよくわかるだろう。また尖閣周辺での海上自衛隊、航空自衛隊の軍事能力を高めることも当然、尖閣防衛に直結している。
第三は日米同盟の強化である。
この対策はもちろん尖閣防衛の軍事能力強化と一体になっている。米国は日米安全保障条約により、日本の統治下にある領土が第三国からの攻撃を受けた場合、日本と共同してその反撃にあたることを責務としている。そしてその条約の責務は尖閣諸島にも適用されることは、オバマ政権の高官たちも公式に認めている。
だから中国がもし尖閣に対して軍事攻撃をかける場合、その敵となる相手は単に日本だけではなく、米軍となる。その展望が中国にとっては最も恐れる危険であり、そのことが中国の軍事力行使への最大のブレーキとなる。日米同盟による抑止である。
しかし肝心の日本に有事での断固たる自国領土防衛の意欲や能力がなければ、米国の共同防衛誓約の実行も当然視はできなくなる。ましていまの米国はオバマ政権下で「アジア重視戦略」を唱えながらも、その一方で、画期的な国防費削減を計画している。
だから日本の防衛力強化にかける期待も当然、高くなる。だがその日本は民主党政権下で、防衛費も事実上の削減を続け、米国との軍事面での連携も怠りがちである。日米同盟の強化には程遠い状態なのだ。とくに最近の米軍の新型輸送機MV22オスプレイの日本配備に対する日本側のメディアなどの反対論議は、日米同盟の強化や日本の安全保障への配慮が皆無のようにみえる。
そこで求められる同盟強化の最有効の対策は日本の集団的自衛権の解禁である。野田政権はその展望をほのめかし始めた。だが単なるリップサービスである気配も濃い。
しかし現実に日本政府が憲法第9条のいまの解釈を変えて、「日本も世界の他の諸国と同様に集団的自衛権を行使できる」と宣言すれば、日本の防衛へのそのプラスは絶大となる。まず最初に米国との軍事面での連携が強化されるからだ。その強化は当然、尖閣諸島の防衛の増強につながる。
そもそも近年の米国側では民主、共和の党派を問わず、官民の両方で「日本の集団的自衛権の行使禁止は日米同盟強化への障害になっている」という認識が高まってきた。
同盟というのは本来、集団防衛態勢なのである。同盟の相手が第三国に攻撃されれば、自国への攻撃とみなして、その相手を助けて反撃する。その意思と能力が第三国に攻撃を思い留まらせる抑止となる。そんな構造が世界の安全保障の現実なのである。
しかし日本だけは自国を助けてくれる米国でさえ、その艦艇や将兵が日本の領土や領海から100メートル離れた地点で第三国の攻撃をむざむざと受けても、助けはしないと宣言しているのに等しいのだ。
尖閣諸島の防衛でも、現在の集団的自衛権の行使を自ら禁じた日本は尖閣の至近の海域で日本防衛任務に就く米軍が中国軍の攻撃を受けても、実際の支援はできないことになっている。その海域が日本の領海でなければ、目前で攻撃を受ける米軍さえ、応援できないのだ。この変則に終止符を打つことは尖閣防衛の強化に直結する。
第四は国際的な連携や発言の強化である。
中国は自国がからんだ領有権紛争を国際的な舞台に出すことを一切、拒む。多国間の協議に委ねることにも絶対反対する。この7月の東南アジア諸国連合(ASEAN)の一連の会議での展開がその現実を明示した。
だから日本にとってはこの中国の忌避を逆手に取って、南シナ海で中国の膨張の被害を受けるフィリピンやベトナムと連携を強めることが有効である。南シナ海での領有権紛争に関する「行動宣言」を東シナ海にまで拡大することを提案するのも一考だろう。海洋領有権紛争での軍事力行使の禁止などをうたうこの「行動宣言」には中国は署名をしながらも、拘束力を持たせる提案には頑強に反対を続けている。
日本としてはこの「行動宣言」に拘束力を持たせることを求める東南アジア諸国との国際連帯を保つことが有益なのは明白である。中国の理不尽で危険な領土拡張に悩まされる諸国とできるだけ幅の広い国際連携を組むことが日本にとって役立つわけだ。
同時にその国際連携の出発点として、日本はまず国際的な場で自国の尖閣諸島領有の権利がいかに正当であるかを積極果敢に主張しなければならない。この主張自体が従来の日本政府の「中国を刺激するな」論の否定となる。
尖閣諸島の日本帰属は歴史的にも法的にも十二分の根拠が存在する。中国の主張はきわめて弱い。その事実を国際的に広める時期がすでにきたといえる。だが日本政府はこれまで尖閣諸島の領有権の正当性を国際的に語ることはなかったのである。
中国の主張を完全に否定し、「領土問題は存在しない」とする日本政府の公式な立場からすれば、その経緯にも理はあるが、中国のいまの公然たる挑戦をみると、領土紛争は認めないままにせよ、中国の主張の不当を対外的に宣伝することも必要になってきたといえよう。
中国は国連海洋法条約が決めた排他的経済水域(EEZ)や大陸棚に関する規約や合意をも公然と無視している。日本が中国のそうした側面を国際的な場で指摘することは、尖閣諸島防衛への外交的な得点ともなるだろう。中国の尖閣奪取への動きが国際的な課題である現実をアピールすることともなる。
さて第五は中国の実態についての日本側での国政議論の開始である。
日本にとって中国の動向はいまや国家の基本を揺さぶるほど巨大なファクターとなった。日本の固有の領土である尖閣諸島を奪取しようという動きはその象徴だといえる。中国は日本の安全保障にとっていま最大の潜在脅威であり、懸念の対象である。いや安保だけに留まらず、経済や金融の面でも、中国は日本の国家としての進路を大きく動かしうる存在なのだ。
しかしそれほど重要な中国の実態を国政の場で体系的、政策的に論じようという努力が日本には存在しない。国政の場での中国に関する研究や議論がないのである。
この点、米国は対照的である。政府は経済面で毎年、中国が世界貿易機関(WTO)の規則をどこまで順守したかを詳述する調査報告を発表する。中国の軍事力の実態に光をあてる調査報告を公表する。中国の人権弾圧の実態や宗教の自由抑圧の状況を年次報告の形で批判する。
政府と議会の合同の「中国に関する議会・政府委員会」という組織があって、中国の人権状況に公聴会や調査報告によって、恒常的に光を当てている。議会の諮問機関「米中経済安保調査委員会」は米中経済関係が米国の国家安全保障に与える影響に焦点をしぼり、立体的な調査と発表を続けている。民間でも多数の大手シンクタンクが中国の軍事や経済を研究して、その結果を公表する。その結果、最近のワシントンでは文字どおり連日、中国についての研究や討論のイベントが催されているのだ。
一方、日本では中国研究自体はもちろんなされてはいるが、国会のような国政の公式の場で中国のあり方が論じられることはまず稀である。
中国を単に批判的に取り上げる中国叩きではなく、中国の軍事態勢や海洋戦略を冷静に調査し、その結果を国民一般にも伝わる形で公表し、議論するという作業が国会を主体に実施されてしかるべきだろう。
日本にとっての中国の比重はそれほど巨大なのである。中国が尖閣諸島に対し、どのような戦略や思考を抱いているのかなど、日本国民全体が理解できる形で、国政の舞台で論じられるべきだ。そうすれば国民の間で尖閣を守ろうという意識が自然と高まるだろう。 
さて以上が尖閣諸島を守るための日本側のとるべき政策についての5つの具体的な提案である。
杜父魚文庫

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