10323 ハマコー氏の著書を改めて読み、宮沢賢治に出会う 阿比留瑠比

先日、福島県いわき市の親類の家に行った際に、書棚にハマコーこと故・浜田幸一元衆院議員の著書「日本をダメにした九人の政治家」(講談社、平成5年12月刊行)があるのを見つけ、借り出して読んでみました。
もう20年近く前の本なので、書いてあるエピソード自体は古く、現在の政治情勢とは必ずしも符合しませんが、とにかく面白い書でした。私は政治部に配属されて14年余なので、それ以前の話はあまり記憶していないか忘れていることが多く、勉強にもなった次第です。
知っている人、覚えている人には当たり前のことかもしれませんが、以下、「ああそういえばそうだった」「へえ、そんなものか」「うんうん、そうそう」と感じた部分をいくつか抜き書きして紹介します。
《細川護煕首相だが、もともと〝足して二で割る〟政治の総本山であるところの田中派の一員で、田中角栄さんから可愛がられ、われわれとも交流があった》→細川氏は現在の野田佳彦首相の師匠なわけで、つくづく、民主党の政治は旧田中派に源流があるなあと。野田首相の政策顧問のような藤井裕久党最高顧問も岡田克也副総理も田中派出身だし。
《日本新党に対しては、きっちりとした政策を持っていないとの批判もある》→そうでしたか。確かに当時の日本新党の政策ってどんなものだったか、私は記憶にありません。
《誰かさん(※中曽根康弘元首相)はちゃっかりと両陣営(※田中、福田赳夫両陣営)から金をもらっていたことになるわけだ。「風見鶏」とか「コウモリ康(やす)」と言われる所以である》→風見鶏というあだ名ははっきり覚えていますが、コウモリ康は知りませんでした。
《代議士がギャンブルをしてはいけないと言うなら、パチンコ好きで有名な衆院議長の土井たか子さんだって辞めなければならなくなってしまうではないか》→ああ、そういえば、土井氏が庶民派でパチンコ好きだなんて言われていたことをうっすら記憶しています。現在なら、「パチンコ好き」という特性には別の意味付けがなされるかもしれませんが。
《ふわふわと見えることは見えるのだが、実体がないから〝蜃気楼(森喜朗)〟と呼ばれている森君は、それほどの大物だとは考えてはいない》→この蜃気楼というあだ名は、森氏の首相在任中はよく聞きましたが、なるほどずっと前から言われていたのですね。
《(中川一郎氏は)律儀さ、純粋さゆえに悩み抜き、自らを死に追い込んでしまった》→死因は異なりますが、やはり子息である昭一氏の最期を思い浮かべざるを得ません。本来はもっと認められるべき人間としての美質が、必ずしも成功につながらず、評価もされないのが政治の世界であります。
《今回の自民党のつぶれ方はなんだ。クソの泥沼で足をとられながら、テメエたちだけで殴り合いをし、泥のなすりつけ合いをしているから、国民もついに呆れ果てて、革命路線をとる連中と手を組んだ新党側を選んでしまったんじゃないか》→この指摘は、細川連立政権誕生を指しているのですが、後の民主党への政権交代時のありようとも通底していますね。人間のやることは、そうそう変わらないと……。
《いつも最後まで自分の態度を決められずに周囲をヤキモキさせ、〝一本釣られの恒三〟などとからかわれている渡部恒三君》→後の政界の「黄門さま」も形無しです。ただ、中曽根氏もそうですが、長く政界で生き延びることでいつの間にか「大物」「超大物」として扱われるようになっていくのですよね。
《金丸(※信)幹事長時代、私は副幹事長として、常に金丸さんのそばにいた。金丸さんが自動車電話で「田辺(※誠社会党元委員長)に五千万円届けるように」と指示していたのを、私はこの耳で聞いている》→この本にはこのほかにも、国会対策のため野党の誰々にいくら渡したという話がたくさんでてきます。まったくやれやれです。
《社会党もまた田中支配、経世会支配の基盤を一方から支えてきたのである》→私が政治部に配属された後の話をすると、自民党の参院のドンといわれた青木幹夫氏と、社会党から民主党に行った角田義一元参院副議長や同じく輿石東幹事長と親しかったのは有名でした。そういえば、輿石氏の親族は同じ山梨の金丸後援会員だと聞いたこともあります。
《「お前は意気地がないから、ヤクザはつとまらない。カタギになれ。政治家を目指したらどうだ」
そう言って、ヤクザの世界から足を洗うよう諭してくれたのが、稲川会の稲川角二会長であり、私の兄貴分だった石井進さん(※後の稲川会会長)である》→政治家という職業の位置づけが興味深いですね。あるいはそういうものかと。私自身、極度の政治不信や政治家不信は国民自体に不利益をもたらすと考えるので避けたいのですが、別に政治や政治家がいいもの、素晴らしいものだとはこれっぽっちも思っていませんし。
……また、いちいち詳述はしませんが、この本には過去の自民党の金権・利権の話、醜い党内抗争と権力闘争の話がこれでもか、というほどたくさんでてきます。「国民の生活が第一」の小沢一郎代表が民主党時代、検察の捜査について「何で俺だけ狙われるんだ」と被害者意識をむき出しにしたのも、この時代の自民党のことを思えば、分からないではないなと感じました。まあ、いつまでも昔の感覚で振る舞う方がどうかしているということでしょうが。
さらにこの本には、衆院予算委員長だったハマコー氏が昭和63年、共産党の宮本顕治氏のことを「殺人者」と呼んだ理由と背景、その正当性についても詳しく書いてあります。こういう記述もありました。
《場内騒然、お互い興奮気味であったため、宮本顕治議長のことを、(中略)宮沢蔵相と、さらに有名な宮沢賢治とがごっちゃになって、「ミヤザワケンジ君は人を殺した」などと、大変に失礼なことを口走ってしまった》
実は私は先日、東北某所の宮沢賢治記念館に行ってきたばかりだったので、この部分には苦笑させられました。ついでなので、ハマコー氏の往事を忍んで「春と修羅」から私が好きな一節を抜き書きします。
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
ちなみに、記念館近くにある「注文の多い料理店」というレストラン兼土産物販売店では、私は大歓迎されたようです。ありがたい話であります。
杜父魚文庫

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