現代日本はなにを甘っちょろいシナ観察をして敵性国家を誤断しているのか。戦前の長野朗は、国益の視点、鋭敏な問題意識と稀な慧眼でシナを裁断していた。
<<西尾幹二『GHQ焚書図書開封7 戦前の日本人が見抜いた中国の本質』(徳間書店)>>
戦前の陸軍には「シナ通」が沢山いたが、大方は軍のプリズムがあるため観察眼がねじれ歪んでいた。「シナ通」は現代日本のマスコミ用語でいえば「中国学者」か。
これという快心の中国分析は戦争中も少なかった。満鉄調査部のそれはデータに優れ、しかし大局的戦略性におとり、誤断の元にも成りかねなかった。そもそも草柳大蔵の『満鉄調査部』を読めば分かるが、かのシンクタンクには社会主義者が多数混入していた。
当時、あれほどの日本人がシナの各地にありながら、中国を冷静かつ冷酷に客観的にみていたのは長野朗、大川周明、内田良平ら少数の学者、インテリ、ジャーナリストだけであった。
芥川龍之介の江南旅行記(『上海遊記』『江南遊記』(講談社学術文庫))もじつに面白いが、上海から南京までを駆けめぐった、地域限定であり、滞在も短く、しょせんは現象的観察という側面が否めない。しかし芥川の観察眼は作家の目であり、鋭い描写力があった。
さて本シリーズ(GHQ焚書図書開封)は七冊目。いよいよこうなると全体で何冊になるのか、想像もつくようになるが、本巻はほぼ全巻が戦前の中国観察の第一人者、長野朗のシナ分析につきる。付け足しに内田良平があるが、本巻ではほぼ付録的である。
長野の著作は膨大で合計二十作品もあって、ほぼ全てが焚書図書となり、戦後古本屋からも消えた。好事家か、個人蔵書しかなく、それも戦後67年も経てば長野朗の名前を知っている人は中国特派員のなかにさえ稀である。
評者は、ところで長野の著作を一冊保有しており、それも某大学図書館にあったもののコピィである。もっと言えば、それがあまりにも面白いので、某出版社に復刻を推奨したら、編集者の手元へ移り、そのまま五年か六年が経ってしまった。それが『シナの真相』、しかもこの本だけは焚書にならなかった。だから某大学図書館にあったのである。
というわけで、このシリーズで西尾さんがほかの参冊をさっと読まれて重要部分を抜粋された。まずは『シナの真相』のなかに長野朗が曰く。
「かの利害打算に明らかなシナ人も、ときに非常に熱してくる性質も持っている。シナ人の民衆運動で野外の演説等をやっているのを見ると、演説して居る間にすっかり興奮し、自分の言っていることに自分が熟してくる。その状態はとても日本人等には見られない所である。彼らは興奮してくると、血書をしたり、果ては河に飛び込んだりするのがある。
交渉をやっていても、話が順調に進んだかと思っている時に、なにか一寸した言葉で興奮して、折角纏まりかけたのがダメになることがある。シナ人の熱情は高まり易いが又冷めやすいから、シナ人は之を『五分間の熱情』と呼び、排日運動等のときには、五分間熱情ではいけない。この熱情を持続せよといったようなことを盛んに激励したものである」。
▼「シナ人の五分間の熱情」と「気死」
この文言をうけとめて西尾氏は、「思い当たる節があります。日本にきている中国人のものの言い方を見ていると、口から泡を吹いているようですね」と指摘されている。
つい先日の尖閣問題でも、「五分間の熱情」でデモ行進をやり、「日本人を皆殺しにせよ」(殺光)と横断幕に掲げ、シナ人の所有する「日本車」を打ち壊し、シナ人が経営する「日本料理店」を破壊し、シナ人が経営するラーメンやのガラスを割った。
そして、「五分間の熱情」は、かの尖閣へ上陸した香港の活動家らの凶暴な風貌、掴まっても演説をつづける興奮気味のパフォーマンスに象徴される。以前の尖閣上陸のおりは、海に飛び込んで死んだ反日活動家もいた。
この自己制御できない熱情を長野朗は「気死」と定義し、次のように言った。「日本人は憤って夢中になるくらいのことはあるが死にはしない。シナ人の興奮性から見れば、或いはその極、心臓麻痺くらい起こして死んだかもしれない」
西尾氏は、これを『愛国無罪』とひっかけて興奮する中国製デモの興奮的熱情に見いだし、「日本レストランを襲撃したり、日本大使館に投石したり、やることが非常にヒステリックです。尖閣諸島の騒ぎの時も同じでした。国中が湧きたって、それこそ『気死』していましそうになる。じつに厄介な隣人たちです」と指摘される。
また長野朗は『支那の真相』のなかで、こうも言う。「しかしシナの混乱した状態を治めるには、最も残忍を帯びた人が出なければダメだと言われている。或るシナの将軍は、いまのシナには非常な有徳者か、それとも現在の軍閥に数十倍する残酷性を帯びた者が出なければ治まらぬと言ったが、シナが治まるまでには、莫大な人間が殺されて居る」
そう、そうして残酷性を数十倍おびた毛沢東が出現して軍閥のハチャメチャな群雄割拠の凄惨な国を乗っ取った。
ほかにメンツの問題、衛生の問題、歴史観、人生と金銭感覚などに触れ、シナ人を裁断してゆくのである。この長野朗こそ、現代日本人はすべからく呼んで拳々服膺すべし。しかし長野の著作はまだ復刻されていないから、本書からエッセンスをくみ取るべし。
<長野朗氏のシナ分析 杜父魚ブログ 2009.02.23 Monday name : kajikablog>
貴誌で紹介されておりました戦前のチャイナ・ウォッチャー長野朗氏の「動乱支那の真相(昭和6年)」読了しました。とにかく面白すぎです。
緒言の『国民性はかくして生まる』では、「長い間圧政を受けて来た支那の国民は甚だ念の入った嘘付きの習慣が付いた。嘘は弱者の武器で、政治が悪い證據である。」とはじまり、政治編では『妥協的な国民』『凡てを職業化す』と革命の堕落を描き、「蒋介石の蓄財についても支那人は別にこれを問題にせず、蒋介石位の地位になれば、それ位の金を儲けるのは当然だと思っている。」
「国民革命が盛んになったのは失業知識階級を巧く利用したからである。」
「清朝は学生を多く学校に集めることを避け、各々家庭にあって勉学させ、試験の時だけ集めた。これは一緒に集めて置けば不安の因だからである。試験も時務に遠ざかった空疎なものをやらせ、試験に合格したものは四庫全書とか康煕字典とか一生かかってやれないような仕事を押しつけて、学者を世間から隔離して置いたので、三百年近くの太平を保った。」とあるのは台湾の228事件や毛沢東の百花斉放・百家争鳴~反右派闘争から今に至る知識人弾圧を予見させます。
「凡て何んでも商売化する支那の国民性は、官業をメチャメチャにする。」と塩の専売の例から労働運動・排日でも皆一つの職業になると続き、「示威運動の行列賃が一日五十銭、演説が一回上等一円、下等五十銭、女学生は効果が多いと云うので一円、何を喋っているかと思うと、黄色い声を張り上げて森永のミルクキャラメルには毒が入っているから買うなと云うようなことを云って居る。
所が上前をはねる首領株の間に金の分配で内輪喧嘩を始めたりしたが、中には排日の学生首領にして金と名誉と一緒に運動した女学生の美人とをかち得た果報者も居たので、仲々排日も止められなくなった。」と笑わせますが、ここまででまだ8ページ、この調子で200ページ続きます。
目次は『多面的性格・複雑性・実利主義・戦わずして勝つ・利己主義・出世と金儲け・・・』と中国人の特徴をよく捉えています。「支那人が学問するのは官吏になるのが目的であって、官吏になるのは金儲けにあるのだから、お役人が悪いことをするのが当然である。支那ではお役人が在職中に官金を胡麻化さず清貧であるものを「両袖清風」と云う。
ところが、この清廉と云うのが日本人見たように潔癖の清廉ではなくて、余り無暗に取らないと云うことである。
支那で「清廉の士」と云うのは一割かせいぜい二割以内の限度を越えないものを称するのである。」
いまでも共産党が思い出したように汚職追放のキャンペーンを行ったりしますが、二割で清廉なら死刑になるような横領は何割位なのでしょうね。
『誅求と中飽(チュンパオ)』
「支那人は官吏だけでなく、あらゆる階級を通じて誅求を行うように出来ている。今日で云えば搾取であって、官吏は軍閥と共に数千年間搾取学を研究し、その蘊奥を極めて居る。」「中飽と云うのは途中で胡麻化すことで、官吏が人民からは金を取り立てながら政府には送らず、途中で自分の懐に入れることだが、其の方法は古くから行われて非常に進歩して居る。」「列国が支那の饑饉に同情して出した金も、多くは災民の手に入らず中途で消え失せる。」 四川の大地震でも援助物資の横流しがありました。
『弱点の利用に巧』
「一度弱者の地位に立ったものは何処まででも凹んで行って、反撃してくると云うことはないから、支那人に一度弱点を示せば、いくらでも押して来る。それは日本人だと或る程度までは、じっと我慢して居るが、いよいよ我慢出来なくなると猛然立って反撃する。こうした日本人の性質が分からないから、日本が多少譲歩的態度に出ると好い気になってぐんぐん押して来る。ここに日支関係の危機がある。」
このあたりは反日暴動や尖閣・靖国問題を見てもわかります。
『宣伝の天才』
「支那人が喧嘩して居ると、すぐに弥次馬が周囲に黒山を築く、すると喧嘩して居た二人は相手を放って置いて、各々群集の方に向いて自分の方に道理があると云うことを訴える。そして公衆の批判が正当と認めた方が勝ちである。」
「支那の戦争を眺めて居ると、兵力の多寡や強弱よりも、人気のある方が勝つようである。」
「支那人は白を黒と言いくらます理屈の付け方は実に巧いもので、自分の方で散々悪いことをして置いて相手が悪いように言いまくる。議論や文章ではとても敵わないから、気の短い日本人はすぐに支那人を殴りつけると云うことになる。」
「日本人の謙譲は美徳であるかも知れないが、それが一歩を誤れば陰険に見える。自分の欲しいものを欲しくないような顔して、しかも陰でちょいちょいやるから悪い。自己の正当と認める要求は明らかに世界の前に宣言すべきである。」
「支那人は日本人を非常に腹黒く非常な野望を持って居るように誤解して居る。黙った国民とおしゃべりの国民とが隣り合って居るので、中々巧く行かないのである。」
『支那人の義侠心』
「支那のある租界に私の知った日本人のお医者さんがあった。
支那人の間には中々信用があって好い患家を持って居たが、その人は支那人の宅から往診を云って来てもすぐには出掛けない。支那人が日本人の医者にかかるのは、余程悪い時であるから、普通ならば急いで飛んで行くべきだろうが、其のお医者さんは先ず電話で診察料の交渉をやる。
それが纏まった所で出掛ける。患家に行ってもすぐに病室に入らずに、先ず応接間に入って、診察料を受け取った所で初めて病室に行く。日本人から考えたら一寸可笑しいようだが、支那ではこれでないと駄目である。日本人は支那人を忘恩の民と云うが、支那人に云わすれば日本人は訳の分からない人間だと云うかも知れない。それは双方の考え方が全然異なって居るからである。」
「支那の現在の要人の中にも、将に殺されそうになった所を日本人に助けられたものが少くない。それが盛んに排日をやる。又昔の恩人に遇うても知ぬ顔しているので、日本人は之を忘恩だと云うが、支那人に云わすれば、恩人顔するようならばなぜ始めから助けてやる時に報酬なり交換条件を持ち出さんか、黙って助けてやったんだから、助けた方は助けたと云うことで満足し、円満に問題は解決して居るではないか、それを今更恩人顔するのは怪しからんと云うのである。」
「支那人の考え方ですれば、何らの報酬もなくて人のために力を尽くすと云うことは有り得ないと考えるだろう。」
対中国ODAに対して、中国政府から感謝の言葉もないと日本側は不満でしたが、これほどまでに考え方が違うのですね。
『賭博心』
「支那人は天性賭博打ちに出来て居る。日本人なら負くればがっかりするし、勝てば逆上(のぼ)せるが、支那人は勝っても負けても急かず焦らず、逆上せず失望せず、平然とやって居る所は偉いものである。」
「以前に北方督軍団が幅を利かして居た頃に、督軍団の会議が始まったとなると、天下の形勢が一変するので、日本の新聞記者等は大騒ぎで会議を注意して居ると、督軍連滅多に集まったことがないのでこの好機とばかり賭博を始める。これ督軍連は自分の省で賭博をやれば、相手は皆部下だから、部下は上官に対しては必ず負けることになって居る。
これが一つの賄賂である。そこで相手が本気でなく勝つことに決まって居るので面白くないため、こうして同僚が集まった時に大いにやるので、天津会議の時に、或る男はシャツ一枚になり汗を流して大童になり、或る男は敗けて自分の省に五十万円送れと電報を打ったのが居る。」
この他にも、池で溺れても誰も助けてくれず、銀貨を見せたら6人が助けに来たとか、催情薬が二百余種、金を儲けた結局は女と御馳走に落ち着くと紅楼夢の世界や偽バイアグラの今を思わせます。労働者については体力強健、寒暑病魔に耐え得る。
四億の人口を背後に控え、海外では多く移住を禁止されているが、もし此の禁止が解かれようものなら、支那の苦力群は全世界の労働市場に流れ出すだろう、との予測は現実のものとなりました。今読んでも内容は全然古くないですね。
今回、同時に借りた朝日新聞社「支那事変写真全輯」に緒方竹虎の序文がありました。
「・・・今にして想えば、支那は、その欧米依存と日本に対する認識の誤謬と西安事件以後における国内情勢の鬱結から計画的意識的に日本に向って戦争を構えたもので、蘆溝橋はその意味におけるサライェボだったのである。大山大尉事件前後に南京上海を繞る空気、事件勃発に伴う支那軍の何時になく敏速だった機動、それを指令する南京政府の態度が最もよく列国民監視のなかに此事実を語って居る。
日支事変が斯の如くして計画されたとすれば、これに応戦して起って全支を席捲し、首都南京をすら攻略した日本の地位が、日支事変を劃期として東亜の絶対勢力となることは、真に当然の結論といわねばならぬ。日支事変は『売られた喧嘩』であるが、日本は招かずしてその多年の念願たる東亜安定の機会を握ることを得たのである。
支那の欧米依存が破れたことは、日本の指導権の確立されたことを意味する以外の何物でもない。東亜の風雲はなお急であり、時局の前途は遼遠であるが、支那にして旧夢より醒め、列国にしてよく東亜の新情勢を認識するに至れば、日支の共存共栄下に平和繁栄の新天地を啓くことは、日を計えて期し得るのである。」・・・・以下略
まさに「戦わずして勝つ」を上策とする中国と短気な日本、長野朗氏の分析通り『売られた喧嘩』を買ったものの欧米での宣伝は中国に完敗、国際連盟脱退から真珠湾へとつながっていきますが、日本人の性格や当時の社会の雰囲気からして対中・対英米戦を避ける方策は果たしてあったのでしょうか。
長野朗氏の著作の一冊、復刻の話が進められているようですがぜひとも出版していただきたいものです。(PB生)
杜父魚文庫
10330 書評「戦前の日本人が見抜いた中国の本質」 宮崎正弘

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