10414 「延宝房総沖地震」の故事に注目  古沢襄

地震の揺れは顕著でなかったが、千葉県、茨城県、福島県の沿岸部に大津波が襲来した「延宝房総沖地震」がいま注目されている。延宝五年(1677)十一月四日に発生した地震と大津波による被害は流潰家1893軒、死者数569人。
人口が少ない江戸時代に発生した地震と大津波なので被害死者が小規模と思われがちだが、いまこの地震が発生すれば、東京湾に押し寄せる大津波は4メートルに達するという見方も生まれている。
東日本大震災の原因となった震源は、そのマグマが南下して房総沖にたまっていると言われる。千葉県の房総半島東方沖を震源とする地震は、いつ発生しても不思議ではない。津波被害は千葉県、茨城県、福島県の沿岸部から東京湾の周辺に及ぶだろう。
東京直下型地震も怖いが、房総沖地震は津波被害を伴うので警戒しておく必要がある。
<房総沖地震出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』房総沖地震(ぼうそうおきじしん)とは、日本の千葉県の房総半島東方沖、太平洋の地下を震源とする地震。
概要=房総半島の東方沖は北アメリカプレートと太平洋プレートの境界域である日本海溝の南端部に当たる。この地域では日本海溝付近を震源とする海溝型地震、北アメリカプレート内部における大陸プレート内地震、太平洋プレート内部における海洋プレート内地震が発生する可能性がある。
また、この付近では北米プレートに対してフィリピン海プレートも沈み込んでいるため、フィリピン海プレート内部におけるスラブ内地震(海洋プレート内地震の一種)が発生する可能性もある。
なお、房総半島の九十九里浜付近を震源とする千葉県東方沖地震や相模トラフに起因する房総半島南方沖の地震とは発生地域が異なり区別される。
主な地震=1590年3月21日(天正18年2月16日) 安房で地震。2mの隆起あり。潮が引いて3キロの干潟が形成された。
1655年5月2日(明暦2年4月8日) 房総沖地震 千葉県で津波の記録あり。
延宝房総沖地震=1677年11月4日(延宝5年10月9日)に発生した地震。地震の規模はマグニチュード8.0。「延宝地震」とも呼ばれる。
揺れは顕著でなかったが、千葉県、茨城県、福島県の沿岸部に大津波が襲来した。被害は流潰家1893軒、死者数569人とされる。

1909年房総沖地震=1909年(明治42年)3月13日の8時19分にM6.5、23時29分にM7.5の地震が発生した。
1953年房総沖地震=1953年(昭和28年)11月26日に発生した地震。地震の規模はマグニチュード7.4。なお、この地震で初めて大津波警報が発令された。
東北地方太平洋沖地震=2011年(平成23年)3月11日に三陸沖で東北地方太平洋沖地震が発生した。この大地震の震源から南北へ連鎖的に地殻の破壊が進んでいったが、北アメリカプレートの下に沈み込んだフィリピン海プレートの北東端が地殻破壊の南下を食い止め、房総沖の北隣の茨城県沖で止まった。
日本政府の地震調査委員会は同年4月11日の会合で、房総沖等の海域でもM7からM8程度の地震が誘発される可能性があるとの見解を示した。
杜父魚文庫

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