なめられるほど悔しく、情けないことはない。個人関係ならなめられても仕方ないと周囲も認めることがあるが、国家間の場合は仕方ないで放置しておくわけにはいかないのだ。
いろいろなことが、周辺国との間で連続的に起きた。韓国の李明博大統領による竹島上陸や天皇への謝罪要求発言などは、腹が立ちはしたが、〈品の悪い大統領のお粗末の一席。年末、大統領が代わればまた空気も変わるだろう〉ぐらいに思っていた。韓国の専門家に話を聞くと、背景があるという。
「韓国は自信をつけている。アメリカも日本より韓国を重視するようになった。以前は国際会議ひとつ開くのにも日本の助けを借りなければならなかったが、いまはすべて自前でできる。それと、李大統領は以前に訪日した際、国賓扱いでなく、日本の国会で演説できなかった。前任者はみな国賓なのに、なぜおれだけ、という恨みがあるらしい」
という解説だ。そういうこともあるのだろう。国賓問題はともかく、自信をつけるのはいいことだが、だからといって、トップが相手国をなめるような突飛な言動に走るのは、この国の文化レベルの低さを思わせる。
だが、八月二十七日夕方、北京市内で起きた国旗事件は、李大統領の言動なんかよりはるかに重大だった。事件の大筋は、中国の丹羽宇一郎駐中国大使が公用車で市内の幹線道路を走行中、中国人が乗った高級車二台に突然通行を遮られ、公用車の一部を壊され、一台から降りた男性が、公用車の先端についていた日本国旗を奪い去った、というのである。
日本大使館は同日夜、中国外務省に抗議し、外務省の羅照輝アジア局長は、この抗議に対し、
「極めて遺憾」と謝罪した。こんな一片の外交儀礼ですむ話ではない。翌二十八日、丹羽大使も、
「極めて遺憾」というコメントを発表した。双方とも〈遺憾〉という同じ単語の交換で処理していることに、私は大きな違和感を覚えた。
すぐに想起したのは、四十年前、日中国交正常化交渉の舞台である。日中共同声明の案文の検討に入ったところで、日本側の草案にある、
〈中国に対して戦争で迷惑をかけた……〉というクダリの〈迷惑〉について、周恩来首相が、
「日本側の表現は、夏のある日、小僧が店先で水を撒いているところへ、日傘をさした婦人が通りかかり、彼女の裳裾に水がかかって『あっ、ごめんなさい』と謝る程度のものだ。これでは困る」と異を唱えた。田中角栄首相がたとえ話で切り返す。
「親子代々、何十年も垣根争いで一寸の土地を争い、口もきかないような両隣の家もある。その両家の息子と娘がお互い好きになって結婚したいと言いだした時、それではすべてを水に流して……」
「あなたは日中間の長い戦争を垣根争いだと思っているのか」
「垣根、寸土の争いは最大の争いだ。国家の争いは国境問題である。それが中ソ七千キロにわたる国境の緊張ではないか」
◇事件翌日に首相親書 間抜けな話、あきれる
いつのまにか話は〈迷惑〉からそれていたが、当時、日中首脳間にはざっくばらんで真剣な対話があった。結局、共同声明では〈迷惑〉をはずし、
〈戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えた……〉に改められたのだ。
私は田中訪中団に同行して北京で取材し、帰国すると、次は両国の初代大使をめぐる人事の取材競争に追われた。中国は陳楚さんを初代大使に任命し、ホテルニューオータニに仮大使館を構え、国旗を掲げた。日本側も小川平四郎初代大使のもとで北京に大使館を開設、日の丸を掲揚して、日中復交がはじめて形を整えたのだった。
お互い、大使館と国旗は国家そのものであり、大使はそれを代表している。大使の公用車は大使館が移動したもの、つまり国家と考えるべきだ。それを襲いシンボルの国旗を奪う蛮行は、日本がなめられたうえに、土足で蹴られたような屈辱を覚えた。
ところが、事件の翌日、野田佳彦首相は中国の胡錦濤国家主席宛てに、親書を手渡したという。尖閣諸島への不法上陸事件で日中関係が緊迫しているのを懸念して、親書の内容は、
「大局的な観点から日中関係を安定的に発展させていくためのものだ」(藤村修官房長官)という。まったく間の抜けた話で、あきれてしまう。親書は中止して、新事件にしっかり抗議しなければならない場面だった。
それだけではない。丹羽大使は事件の二日後、北京の復交四十周年を記念するシンポジウムで、「……個別な問題で両国関係の大局に影響させないことが必要だ」
などと述べ、襲撃事件にはまったく触れなかったという。二重にあきれる。穏健・気配り外交は結構だが、言うべきことを言わないのはそれと違う。
中国側はこうした日本の対応を見極めたうえで、公安当局が九月四日、白昼堂々の政治テロ行為に及んだ男二人を軽い行政処分にし、刑事責任を問わないことにした。
「日中関係に不満を持っての行為だが、衝動的で計画性はなかった」
というのが理由である。さまざまな推測が報じられており、背景は不明だが、衝動的とは到底信じられない。高級車二台が執拗に追跡したすえの犯行だ。衝動的であるはずがない。しかも、犯人の氏名、職業は明らかにされず、奪った国旗も返還されない。無礼の極みだ。日本側の微温的な態度がそうしむけたとしか思えない。
先日、ある会合で、私が日本政府の対応を批判したところ、先輩から、「君はそんな上等なことを言うが、戦争になったら日本は勝てるのか」
と言われた。飛躍がある。熱い戦争でなく、言葉の戦争を激しく交えるべきなのだ。四十年前、〈迷惑〉に文句をつけられたように、今度は、〈遺憾〉の言い直しを毅然として求めなければならなかった。〈遺憾〉には、残念なこと、という意味しかない。
<今週のひと言>重鎭、長老、老害、いろいろ言い方がある(サンデー毎日)
杜父魚文庫
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