10508 谷垣、細野「離脱」の真相? 岩見隆夫

進行中の党首選、だれが選ばれるかもドラマに違いないが、戦線離脱がそれ以上のドラマにみえたりする。
出馬するとみられていた2人が離脱した。まず、民主党代表選で細野豪志環境相が7日、ついで自民党総裁選で谷垣禎一総裁が10日、それぞれ不出馬を宣言、ほかの出馬表明より大きなニュースになる。真相がはっきりしないことも、一段と興趣をかきたてるのだ。
なぜ細野は降りたのか。細野に近い民主党首脳が、
「出れば野田(佳彦・首相)に勝つだろう。中堅・若手がなだれを打って支持するから。野田で選挙をやれば民主党は100を切る。細野なら、それに30〜40上乗せできる」
と言うのを聞いた。<選挙の顔>は細野しかいない、というニュアンスだった。それなら危急存亡の民主党を救うために、出馬すればいい。
しかし、細野は、「悩みに悩み、考えに考えたが、福島のことがどうしても頭から離れなかった」と断念の理由を語った。そうかもしれないが、真相のすべてとは思えない。
裏で、輿石東幹事長ら何人かが画策した話が報じられた。それも真相の一部、細野が決意すればだれも止めることはできなかった。
細野が降りた夜、自民党の長老がある席で若手を相手にこう諭したという。
「いいかね。戦後30代で大臣になったのが5人いる。しかし、若ければいいというものではない。その後、順調にいかないケースがあるのを見ればわかるだろ」
細野の名前は出さなかったものの、41歳の出馬断念は賢明だった、と言いたいらしかった。
その5人とは、田中角栄(39歳で郵政相・岸内閣)、船田元(39歳で経済企画庁長官・宮沢)、野田聖子(37歳で郵政相・小渕)、小渕優子(34歳で少子化担当相・麻生)、細野豪志(39歳で消費者担当相・菅)である。
かりに細野が新代表になれば、短期間でも首相のイスに座り、解散権も行使しなければならなかった。先輩たちの就任年齢は、伊藤博文44歳、近衛文麿45歳、安倍晋三51歳、田中・野田54歳。史上最年少首相への恐怖が強烈だったのではないか。
谷垣の場合は、細野よりわかりにくい。国会閉幕に当たって、
「(衆院の)選挙の時期は遠くはない。自民党は頑張って政権を取り戻さなければならない。最後の壁は私が体当たりして開いていくとずっと思ってきた」
と勇ましく体当たり宣言をしたのが7日、3日後の唐突な不出馬である。告示まで5日も残しているのに、一体何があったのか。
「執行部から(石原伸晃幹事長と)2人出るのはよくないと判断した」と谷垣は言ったが、そんなことは過去に何度もあった。理由にならない。翌朝の新聞各紙は、
<屈す>の見出しがやたら目立った。派閥に、長老の壁に、党内の不人気に、石原の離反に、屈したというのだ。しかし、屈しないで戦う資格が谷垣には十分にあった。控えめと弱気が悔やまれる。
同時に、自民党の薄情を思う。野党暮らし3年間の党を背負い、たえず厳しい批判にさらされながら、耐えた。次の衆院選で自民党の比較第1党、政権復帰がほぼ確実のところまできたのは、谷垣の真面目路線の結果だ。
いまの自民党に、それを買うゆとりがない。谷垣67歳は首相の適齢だったのに。
両党9人による党首争いは、もうひとつはずまない。最年少と最年長が参戦しておれば、空気も変わっていたはずで、残念なことである。(敬称略)
杜父魚文庫

コメント

タイトルとURLをコピーしました