さて、産経新聞は現在、小泉純一郎首相の初訪朝から10年ということで「再び、拉致を追う」(第2部 9.17を検証する)との連載記事を掲載しています。これには私もかかわっており、そういうわけで、福田康夫元首相や安倍晋三元首相ら、当時のことを知る政治家や政府関係者のインタビューを(自民党総裁選の告示前に)行いました(福田氏は私のことを嫌っているので、これは別の記者が聞き手です)。
あれからもう10年が経つというのに、いまだに拉致された家族が戻らない方々のことを思うと、胸が締め付けられるような思いがします。
そのインタビューの中で、安倍氏は「当時も政府の中の何人かの主要な高官が、大義は日朝国交正常化であり、拉致問題はその障害にしか過ぎないと言っていた。その考え方自体が根本的に間違っている。正常化の目的は国益であって、それは日本人の奪われた人生を取り返すことなんです。
正常化のあと、日本から1兆円近い国民の税金が北朝鮮に渡るんですよね。それが、日本に対する核攻撃用の資金にされたんであれば、まさに大きく国益を損ねるんです。国交正常化は必ずしも国益にかなわない」と語っています。
北朝鮮の金正日総書記が拉致の事実を認めて謝罪し、国民世論が怒りで沸騰するまで、けっこうこんな受け止め方をしている政治家、マスコミが多かったように記憶しています。
で、私はこの「拉致問題は障害」というひどい言い草に「どこかで見たか聞いたかした気がするな」と思っていたのですが、さきほど蓮池透氏の「奪還引き裂かれた二十四年」(新潮文庫)を読み返していて、ああそうだったと思い出しました。1999年8月31日の朝日新聞の社説がまさにこう書いていたのです。
「日朝の国交正常化交渉には、日本人拉致疑惑をはじめ、障害がいくつもある」「植民地支配の精算をすませる意味でも、朝鮮半島の平和が日本の利益に直結するという意味でも、正常化交渉を急ぎ、緊張緩和に寄与することは、日本の国際的な責務といってもいい」
蓮池氏の著書によると、蓮池氏がこの表現について絶対に許すことはできないと抗議したところ、社説を書いた論説委員から
「障害という言葉が、感情的な色合いのこもった『じゃま』というニュアンスで解され、ご指摘のような受け止め方をされたのは残念だ」
という趣旨の返事がきたものの、全く謝罪はなかったとのことです。まあ、つい忘れがちになりますが、そういう時代でしたね。メディアはおおむね、拉致問題にも拉致被害者家族にも冷たかったのでした。蓮池氏はこうも記しています。
「NHKも当初は北朝鮮の特別番組を製作しても拉致問題には一切触れなかったほど、われわれの運動を無視してきました」
この年の12月には、外務省の槙田邦彦香港総領事(当時)が自民党の会合で「(拉致された)たった10人のことで日朝国交正常化が止まっていいのか」
と述べたことが話題になりました。もっとも外務省幹部によると、この発言は槙田氏のオリジナルではなく、当時、外相だった河野洋平氏がよく言っていたことを、そのまま受け売りで言ったにすぎないとのことです。
また、似たような発言では、2001年11月に社民党の辻元清美政審会長(当時)がインターネットインタビューで
「北朝鮮には補償も何もしていないのだから、そのことをセットにせずに『9人、10人返せ』ばかり言ってもフェアじゃない」
と語ったことがありましたね。まあ、社民党は金総書記が拉致を認めた後も約2週間にわたり、ホームページに「(拉致問題は)新しく創作された事件というほかない」というトンデモ見解を載せていた政党ですから、当然といえば当然でしょうが。……こういう人たちのことは、決して忘れないように今後もときどき取り上げて記憶を新しくする必要がありそうです。
杜父魚文庫
10544 小泉訪朝10年、「拉致は正常化の障害」といわれたあの時代 阿比留瑠比

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