杜父魚ブログの躍進が続いている。二十二日のユーザー数は32、612、一両日中に三万三〇〇〇の大台に乗る気配が濃厚である。
躍進の主因はNew Visitorつまりは新しい読者が33・39%と高いことにある。Returning Visitorつまり固定化された読者の66・61%に比して新規読者の比率が極めて高い。
ブログが一万九〇〇〇台にきながら、二万の大台に乗らない時期がかなり長かったことがある。この時期にはNew Visitorの比率が低迷していて、Returning Visitorの比率が高く、時にはReturning Visitorが離れると全体のユーザー数が減ることもままあった。
毎日の読者動向はグーグル調査に依存しているのだが、個人で主宰するブログの限界を感じたのは、この時期。それでもユーザー数が五〇〇〇台で低迷していた数年前に較べれば、やはりメガ・ブログに成長しているとみずから慰めていた。
だからこの一、二ヶ月の躍進ぶりには主宰者が「何故!」と自問自答することが多い。
軽々な判断は許されないが、ブログを主宰しながら感じているのは、日本の自主・独立傾向が再び始まったという印象を持っている。言葉を変えれば日本の右傾化が再び動きだしたということになる。米ワシントン・ポストも同じ見方をしている。
小泉内閣の当時に北朝鮮による拉致事件が白日の下に明らかになった時に右傾化の動きが出ると感じたことがある。安倍内閣の誕生によって、それが顕在化している。杜父魚ブログが五〇〇〇台で低迷した時から一万台に向かって離陸した時期と重なっている。
敗戦によってGHQによる占領政策の下では、右傾化は戦前回帰の危険思想として排除されてきた。国民も戦前の軍国主義が台頭することは望んでいない。
だが戦前の軍国主義と、日本が自主・独立傾向を示すことは別物である。二〇〇〇年の悠久の歴史、伝統、文化を持つ日本を大切にする心は非難されるいわれはない。建国の歴史が浅いアメリカが、軍政のもとに戦前と戦後の歴史を遮断しようとしても、それは軍政が解かれれば、徐々に戻るのは政治の力学からいって、当然の帰結である。
話は変わるが、戦前の一九二九年に『文藝春秋』に「暴力」を発表して、プロレタリア作家としてデビューした武田麟太郎が、プロレタリア文学への弾圧を経て、「市井事もの」の世界を切り開き、時代の庶民風俗の中に新しいリアリズムを追求する独自の作風を確立している。
敗戦の翌年に肝硬変で四十二歳の若さで死去したが、この年に「弥生さん 東京出版 1946」を書いた。B29の無差別空爆で廃墟と化した東京で、凜として美しい若妻の生き様を描いた作品だが、そこに伝統ある日本の再生を託した武田麟太郎の心情が溢れている。再生を信じて疑わない武田麟太郎の”遺書”だと思って、折りにふれて「弥生さん」を読み返している。
武田麟太郎と親交があった写真家の土門拳と会ったことがある。無名時代の土門拳が遺した古沢元・真喜夫婦作家の写真十一枚を拙著で使用する許しを得るとともに、この秘蔵作品を東北の古刹に保存・展示する許可を得た。
土門拳が武田麟太郎を語ると、時には熱し、時には深く沈み込む。亡き武田麟太郎を偲ぶ「武田麟太郎の会」で追悼の挨拶をしているが、いつになく不機嫌でにこりともしなかったと、水上勉は回想していた。どこにもぶつけようがない寂寥した想いに駆られて、土門拳は会が終わると早々に姿を消している。
その土門拳もリアリズム写真を追求したが、やがてはライフ・ワークとなった「古寺巡礼」全五巻に回帰していった。そのまえがきに「ひとりの日本人の、みずからの出自する民族と文化への再確認の書であり、愛惜の書」と書いた。
日本はギリシャの神々を高らかに歌い上げた「ギリシャ神話」に少しもひけをとらない「古事記」という古典文学を伝承文化として持っている。占領下の軍政の下で「古事記」は皇国史観だと非難され、戦後久しく顧みられなった。
しかし芥川賞の受賞作家である田辺聖子が、その著作で「古事記は玄妙な魅力で、人々の心の夢をゆすぶる、すべての日本文学の”出できはじめの祖(おや)”」と高く評価して、半世紀の歳月を経て復権を果たしている。
三島由起夫や石原慎太郎を出すまでもない。二〇〇〇年の悠久の歴史、伝統、文化を持つ日本人の心を大切にする主張が、主として文学者などから提起されている。この流れを右傾化の一言で片付けるのは勝手だが、多くの日本人の共感は得られないであろう。
杜父魚文庫
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