今年は、猛暑が続いた。「夏扇は秋の風の棲み家」というが、扇を手離さずに何とか凌いだ。ようやく、涼風(すずかぜ)が吹くようになった。英語でオートム・イヤーズAutumn yearsというと、熟年をいう。
秋は四季のなかで、豊かな収穫期に当たる。雷の声が収まり、大気が澄みわたって、五穀が実る。爽やかな日は、「あきの春」ともいわれる。
古人は人生を、青々とした春、赤く燃える夏、明るい秋、そして幽玄な冬がくる、青春、朱夏、白秋、玄冬の四季にたとえた。
私も75歳になった。晩秋だ。暮秋は、日が昏れるのが早い。もうじき、はかり知ることができないほど奥深く、情趣に富む玄冬を迎えることを、楽しみにしている。
だが、秋といえば秋風が立ち、落葉とか、物の哀れが身に沁みるとか、気が滅入るような連想をともなうものだ。
秋の扇といえば、不要になった夏扇をいうが、捨てられた女の比喩でもある。世間から見離された年金生活の男性も、秋の扇なのだろう。生き残った秋蝉(しゅうせん)に、似ているのかもしれない。
もっとも、このごろの高齢者といえば、人工栽培や冷凍技術の発達によって、食物から季節感がなくなったように、年齢を受けいれることを拒んで、進んで若者を模倣するようになっている。新幹線で夫婦の熟年旅行なのか、男がジーンズを履いたり、派手な身装をして、若造りをしているのと出会うと、老女がべったりと厚化粧しているようで、見苦しい。
のりや定(さだ)めが失われた。ヒグマや、鹿や、猿が、全国の住宅地に出没して、問題になっている。人の年齢による棲み分けが、なくなった。子供がおとなを真似して、老人が年甲斐もなく若者を模倣する。どこをみても、節度がない時代になった。
秋は、古今集が「君がこころに秋やきぬらむ」と詠じているように、飽きるという意味でも、用いられてきた。
秋は食物が豊かだから、秋食い、飽き食いともいう。
テレビをつけると、四六時中、食べ物番組を放映している。これほど、食べ物番組が多い国は、日本しかない。
精神病理学では、幼児が一定の年齢を過ぎても、口からオシャブリを離さないのを、口腔執着というが、全国民がこれほど食物にとり縋(すが)っているのは、発育障害をきたしているのだろう。
この国は異常なグルメ・ブームによって、憑かれている。だが、本来、食べることはセックスと同じような秘め事であって、ごく親しい人との間でしか、話題にすべきことではない。テレビカメラの前で恥らいもなく、行うことではあるまい。
私は厳しい家庭で育ったから、食物は聖なるもので、すべて有難いものだから、何が美味しいとか、まずいというと、叱責された。
食べるという行為はオナラをするとか、排便と同じ生理現象である。テレビをつけると、食べ物番組を垂れ流しているのは、絶え間なく排便や、放屁の番組を見せつけられているのと、かわりがない。
飽腹、飽満することによって、国民の大多数がメタボを患っている。私の研究によれば、国民のメタボ症状と、国家の財政赤字は、比例して悪化する。国民が節制できないからだ。豊かな先進国病だ。貧しい途上国と、較べたい。
私は日大夜間部を卒業して、警視総監、法務大臣まで登った、秦野章先生に生前御交誼を賜わった。今から15年前に、先生との対談の本『なんで日本はこうなった』(広済堂出版)を発表した。
このなかで、秦野先生がこう述懐された。
「秦野 わしらのときは格別だものな、厳しいのは。人としての筋金を鍛えたよな。根性ができたな。人生、楽になったら、おしまいだね。楽になると、やわになる。それは警戒を要するな。
私は大学っていったって、生糸検査所に勤めながら、夜学に通ってね。1つの飯盒(はんごう)に飯を炊いて、それを3つに線を入れておく。同じ部屋に下宿してる3人の仲間で、それを3分の1ずつ食べる。そんな暮らしだった。
なんたって貧乏だったんだよ。否応なしに、貧乏が人を鍛えたんだ。でも、それは悪いことじゃないんだよ。そもそも、誰だってある程度鍛えなきゃあ、ものになんないんだよ。あの頃エリートでいた人は、世の中が貧しかったから、結構鍛えていたんだ。我慢強かったし、人情もわかった」
躾けが悪い国になった。このままゆけば、この国は滅びよう。今こそ、熟年世代が立ち上って、国を立て直す秋(とき)である。
杜父魚文庫
10571 ようやく秋がきた 加瀬英明

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