10605 谷垣前総裁に聞く・菅氏に不信任案を出した理由と宣伝   阿比留瑠比

昨日は、自民党の谷垣禎一前総裁にインタビューをする機会がありました。3年間の長期にわたり、総裁の座にありながら、今回の総裁選では結局、身を引いた理由やそのことへの思い、派閥構造が弱体化する中で党をまとめていく難しさなど、限られた時間ではありますが、いろいろと聞くことができました。
これについては、改めて産経の紙面で紹介することになりますが、とりあえず、非常に共感を覚えたけれど、たぶん紙面化はされないだろう部分について簡単に取り上げておこうと思いました。
それは東日本大震災の発生からまだ3カ月たっていなかった昨年6月、当時の菅直人内閣への内閣不信任決議案を提出した際の、谷垣氏の苦渋の思いでした。谷垣氏は、「そんなことをやっている場合ではない」との国民の反発を覚悟しても不信任を突きつけざるを得なかった気持ちを次のように語りました。
谷垣氏 あのとき、不信任案を出したのには随分、批判もあったんです。それは、これだけの国難の3.11の後、まだ震災復興もほとんど緒についていないときですから、国民から見たらものすごいアレルギーを感じた不信任案の提出だったと思います。
私も、この時期に不信任案を出すのはどうかと随分考えました。今、あれは「人災だ」と言われているけれど、あのころは、いろんな東電やらなにやら内部情報はいろいろ入ってきても、情報源はどこかとは言いにくかった。だけど「こりゃあ、菅ではとてもさばけない」という気持ちが……しばらくたったらそういう気持ちになっていた。
「何だ、こんな時にまだケンカをしているのか。涙が出た。谷垣さん、そんな党利党略を考えていたのか」と私は面と向かって言われたこともあります。確かにそんな反応はありました。
だけど、私自身の気持ちはあのとき、菅さんの震災に対するめちゃくちゃな対応を見ていたら、そりゃ不信任案をと……。だけど、通るかどうかはよく分からなかったんです。あの日は、民主党の様子を見ていると「通る」と思いました。だけど、(不信任案に賛成を表明していた)民主党議員側が腰砕けになっちゃった。
菅さんだけは絶対にダメだと思ったが、それは国民には十分に伝わっていなかったと思います。だから、不信任案提出は自民党のイメージにマイナスの印象を与えたかもしれませんね。
……私は谷垣氏への取材経験はあまりありませんでしたが、インタビュー中、終始笑みを絶やさず、かつ熱心に語ってくれました。よく言われるように、人柄のよさがしみじみと伝わってくる取材でした。3年間にわたる総裁の激務、本当におつかれさまでした。
というわけでここからは宣伝ですが、私が民主党政権の外交についてこのブログその他であれこれ書き散らした感想やら溜め息やら憤りやら憤怒やら激怒やら諦観やらをまとめて再構成し、加筆・修正したものが本になり、10月18日、産経新聞出版から「破壊外交 民主党政権の3年間で日本は何を失ったか」というタイトルで緊急出版されます(ものすごい駆け足作業で)。
ここの読者の方には私の論調、意見はもうおなじみでしょうから、できたら、それ以外の方にも手に取ってもらえればいいなと思っています。まあ、なんというか、危惧した通り、こうなったらまずいなと予想した通りに転がり落ちていく民主党外交についてのおさらいになっています。
各章に編集部力作の年表付で、次にまた自民党政権になるにしろ、そうならないにしろ、こういうことをやっていてはダメだよ、ということがあれこれ記されているというわけです。気が向いたら、買ってやってください。
杜父魚文庫

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