杜父魚ブログのユーザー数が三万四千台に乗り、三万四四一一。東北旅行の疲れも吹っ飛ぶ勢いで読者の皆さんにお礼を申し上げる。
東北旅行で珍しいことが話題となった。東北では縄文遺跡の発掘がさかんなのだが、縄文人が現れる前のことにも関心が高い。
およそ二万年前の旧石器時代の日本人口は約三〇〇〇人という推定値がある。また縄文時代の遺跡数の緻密な分析から八〇〇〇年前の縄文早期の人口は東日本で一万七三〇〇人、西日本では二八〇〇人という推定値も出ている。
まさに東高西低の人口地図になっているが、これは大陸とサハリン、北海道が地続きとなっていて、青函海峡も結氷期にはマンモスも渡れる状況に関係があるという。そのマンモスを追ってシベリアのバイカル湖を祖地とするブリヤート・モンゴル人が渡来してきたというのが通説となった。
推定値だが、その数は七〇〇〇人。北から渡来したブリヤート・モンゴル人だったから東高西低の人口地図になった。古代トルコ人とモンゴル高原に住む高地モンゴル人との混血が、約二万年から三万年前の氷河期に日本にやってきたと想像するだけで楽しい。
朝鮮民族や漢民族とは別種のブリヤート・モンゴル人が日本列島に住みついて、やがて温暖期に精緻な縄文土器を造ったとされる。日本の縄文土器は大陸で発掘される土器より薄手で煮炊きに適している。
やがて高度の稲作文化を持って、鉄器を使用する大陸からの渡来民がやってきて、北方系の原日本民族と同化を繰り返しながら、日本人の原型となった。しかし北方系の原日本民族が、すでに日本列島の隅々にまで広がっていたから、DNA調査をすると北方系が圧倒的に多いことになる。
杜父魚文庫
10606 東高西低の人口地図だった縄文早期 古澤襄

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