10672 「二十一世紀の日本は石油大国になれる」  古澤襄

尖閣諸島をめぐる日中の緊迫した情勢をみていて、引退した岸元首相が尖閣諸島周辺の東支那海は中東全体の埋蔵量を上回る海底油田の宝庫だと言っていたことを思い出す。
引退したとはいえ、岸さんのところには米CIAの極秘情報が届いていた。ニクソン元大統領とのパイプの太さは弟の佐藤首相の比ではない。
「これはトップ・ニュースになる」と色めき立った私の腹を見透かすように岸さんは「いまの世界の技術では東支那海の海底油田を掘削するのは不可能だ。仮に掘削できても日本の五島列島にまでパイプ・ラインを敷設するのは、もっと不可能だ」と言った。東支那海は世界でもっとも深いエムデン海溝につながる深い海底だから、パイプ・ラインを敷設は不可能。やるとすれば、中国の大陸棚に敷設するしかない。
成る程!まさに夢の海底油田。記事にはならないと諦めた。それが、いま中国や台湾との領有権争いになっているから今昔の感がある。
いまから十数年前に盛岡タイムスに頼まれて、連載のエッセイを八回続きで書いたことがある。その一回は岸元首相の想い出話。そこに尖閣諸島のことが書いてあった。杜父魚ブログの前身の杜父魚文庫には掲載してあったので再録してみた。
◆ 私にとって一九六〇年七月一四日は生涯忘れられない日となった。この日,岸信介首相は総理官邸の大広間に足を踏み入れた時に,暴漢に襲われ瀕死の重傷を負った。政治部の岸番記者だった私はその真横に立っていて、暴漢がふるう短刀の白刃が二度、三度岸首相の大腿部に刺さるのを目の当たりにした。
崩れ落ちるように倒れた岸首相を思わず跨いで官邸の電話に飛びつき、夢中で「岸が刺された。生死は不明」と一報を入れたが、このことが後々まで「君は人が死んだと思って私の頭を跨いだのだから・・・」と岸さんから言われるはめになった。
頭を跨いだと言うのは岸さんの脚色で、倒れた岸さんの足を跨いだと言うのが本当のことだが、時の首相の身体を跨いだのは若気の至りだったと今では反省している。
◆ そんな後ろめたさがあったのかも知れない、池田内閣になって岸さんが不遇をかこった時代、弟の佐藤栄作氏が首相になって「弟の内閣で外務大臣を引き受けてもいい」と喜んだのも束の間で、岸嫌いの田中角栄氏が佐藤内閣の実権を握り、「弟は自分の言うことを聞かなくなった」と愚痴をこぼす岸さんのところに通う数少ない政治記者になっていた。 
佐藤内閣の末期には、岸さんは御殿場の別邸に引きこもることが多くなったが、日曜日には朝から御殿場に訪れ、あまり人が訪れることがなくなった応接間で夕刻まで岸さんと二人切りでとりとめのない話をする機会が多かった。そのお陰で世間では知られていない岸さんの隠れた一面を知ることが出来た。
◆ 岸首相に対するジャーナリズムの評価は今日でも厳しい。日米安保条約の改定と国会批准でみせた非情な権力者の横顔が今でも印象に強く残っているためであろう。しかし御殿場の岸さんは権力者とはほど遠い一人の老人でしかなかった。
私ごとになるが、妻は2・26事件に連座して銃殺刑を受けた北一輝の血縁に当たることを何かの拍子に喋ったら岸さんは思わず身体を乗り出してきて、「私は北一輝の国家改造法案要綱を全文筆写したことがある」と言った。
そのついでに「巣鴨に収容されていたときに弟の栄作が政界に出馬したいと相談にきたので、それなら戦前の政友会や民政党の流れをくむ保守党には期待が持てないので社会党から代議士に出たほうがいい」と勧めた昔語りをしてくれた。
右であれ,左であれ現状打破の革新志向が岸さんの本質だということを初めて知った。 岸内閣というと「日米安保条約の改定」と「警職法」(警察官職務執行法改正案)がすぐ思い浮かぶが、「最低賃金制」や「国民年金制度」がこの内閣で創設されたことを知る人は少なくなった。
◆ 戦前の岸さんの逸話として残っているのは、サイパン玉砕の破局を迎えても徹底抗戦を唱える東条首相と単身対決し、倒閣に持ち込んだことがあげられる。
土壇場の最終閣議で同調してくれる筈だった重光外相と内田農相は約束を破って発言せず、最年少の岸商工相だけが東条首相に退陣を迫るはめになってしまった。
閣議が終わって私邸に戻った岸さんを訪れたのは、東条首相の腹心だった四方東京憲兵隊長だった。軍刀をがちゃつかせて恫喝する四方に対して、「黙れ,兵隊」と一喝したが、その時は斬られることを覚悟したと言う。「でも四方は私の頭は跨がなかったよ」と言って私を指さしながら,楽しそうに笑った岸さんが印象的だった。
◆ 岸さんは吉田松陰と交友があって島根県令になった佐藤信寛氏を曾祖父に持っている。信介の「信」は信寛氏から貰ったという。
父は官吏をつとめて後に酒造業を営んだ佐藤秀助氏で,十人兄弟(男三人、女七人)を生むという子沢山だった。その五番目が岸さんで、佐藤家から岸家に養子に出された。長兄の佐藤市郎氏は海軍兵学校に進み、海軍中将になったが、兵学校時代の成績は平均点が九七・五点で日本海軍はじまって以来の秀才と言われた。
兄貴に比べると岸さんは旧制第一高等学校の入学試験に失敗し、予備校に通ってようやく翌年入学している。高等学校時代の成績もあまり芳しくなかった。ところが東京帝国大学に入った頃から頭角を現し、我妻栄氏(東大教授)や三輪寿壮氏(社会党代議士)とトップ争いをしている。
◆ 「頭の良さから言うと兄の市郎、私、弟の栄作の順だが、政治力から言うと栄作、私、市郎と逆になる」と言うのが岸さんの口癖だった。
岸さんの出っ歯は,よく政治漫画に描かれたが、弟の栄作氏も最初は出っ歯だった。それを差し歯にしたわけだが、「栄作さんは出っ歯のほうが愛嬌があった」というのは、総理官邸の床屋の内緒話である。 
御殿場の頃は政権の中枢から外れていたので、特ダネになるような話は出なかったが、一度真顔で「二十一世紀の日本は石油大国になれる。尖閣列島の海底には中近東全部を合わせたよりも大きい石油の埋蔵量がある」とつぶやいたことがあった。
尖閣列島をめぐる領有権の騒ぎが起こる度に岸さんのつぶやきを思い出すが、事の真偽はわからない。仮に真実だとしても、世界の石油利権を一手におさめている国債石油カルテルのユダヤ資本があらゆる手を使って妨害してくるだろう。だから「つぶやき」だったのかも知れない。(杜父魚文庫 1998・3・4 盛岡タイムス)
杜父魚文庫

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