またひと騒動起きそうである。田中真紀子さんが野田第三次改造内閣の文部科学相として、久方ぶりに舞台に上がってきたからだ。田中さんと言えば、小泉内閣の外相でトラブルが続き更迭されてから十年余になる。
それにしても、野田佳彦首相はなぜこんな危なっかしい人事に手を染めたのだろうか。思いとどまるようにとの説得に、野田さんは、
「仕方ないんだ」と漏らしたそうだから、積極起用ではない。では、何か入閣させなければならない切迫した事情でもあったのか。
田中さんのポスト好きと癖をよく知る自民党の長老は、
「はっきりしてる。『大臣にしなければ、夫婦で民主党から出て行く』と田中に言われて、野田が屈したんだ。いまマイナス2は痛い。それに触発されて離党者が続けばすぐに衆院は過半数割れだ。内閣不信任案可決、衆院解散となって、野田政権は終わり。それにしても、あの人すごいねえ」
と言うが、裏づけはない。いずれ裏事情がわかる時もあるだろう。
田中さんは先日、文科省幹部の前で初めてあいさつした時、10年前の外務省幹部との激しいあつれき騒動に触れ、
「いつぞやはたまたま運が悪かった」とひと言で片づけた。この神経、並でない。先が思いやられる。
ところで、田中さんについては思い出すことが一つある。私は政治家をマナイタに載せる「近聞遠見」という政治コラムを『毎日新聞』紙上に二十三年間連載し、九月末に終了した。回数は千百数十回、登場してもらった政治家の数は正確にカウントできないが、数百人にのぼっている。
このうち、書面で正式に抗議、訂正を求めてきたのは、田中真紀子さん一人だった。抗議の対象になったのは、二〇〇〇年三月二十一日付のコラムで、金大中事件(一九七三年八月八日、韓国の指導者、金大中が東京・九段のホテルグランドパレスから拉致され、生死不明、日韓間に不穏な空気が張りつめた。五日後の十三日、金大中は傷だらけの姿でソウルの自宅に戻ったが、のちに在日韓国大使館の公使、一等書記官らが拉致に直接かかわっていたことが判明)が舞台である。
コラムによると、事件から二十七年後の二〇〇〇年三月のある日、田中さんはマスコミ関係者との懇談の席で、
「もうお話ししてもいいでしょう」と前置きして、次のことを語った。
〈騒動の最中の某日、李浩駐日韓国大使から東京・目白台の田中角栄首相の私邸に電話が入った。十日ごろの夜と思われる。居合わせた真紀子が取りついでまもなく、田中首相が、
「殺すなよっ! 爆撃するぞ」と大声をあげるのを、真紀子は隣室で聞いた。前後のやりとりはわからない〉
◇思い込みとすれ違い 憂慮にたえない「癖」
このあと、私のコメントとして、
〈田中のひと言は金大中殺害の恐れを予感したからだが、ほかの首相が同じ立場に立たされて、こんな直截な言葉を発しただろうか。田中の厳しい一喝が、金大中の生命をつなぎ留めることになったかもしれない。
いまとなっては立証が困難だが、もしそうだとすれば、隠れた歴史的発言になる〉と記されている。当時、金大中は韓国の現職大統領、角栄さんは死去からすでに六年が過ぎていた。
私は懇談会に同席した数人に取材し証言を得ていたが、田中さんからはまもなく、
〈事実関係に誤りがある。父の品位と権威を傷つけた〉という趣旨の訂正要求が文書で届いた。私にはまったく意味がわからなかった。韓国側から文句が出たのかもしれないが、とにかく、角栄首相の発言は角栄らしく、大したものだ、と私は素直に思っていた。だから、
〈「爆撃するぞ」に現実性があるはずがない。「殺すなよっ!」という日本国首相の要求が断固たるものであることを示す補強的発言だろう〉
とコメントしたくらいで、むしろ権威を高めたくらいに感じていたのだ。
しかし、田中さんは納得せず、何度も文書が届く。私は応じなかったが、結局、
〈「殺すなよっ! 爆撃するぞ」は「命だけはだめだぞ」である〉などの点で、田中衆院議員から訂正申し入れがあった事実だけをコラムの末尾で伝え、処理した。
十二年も前の古い話を持ち出したのはほかでもない。〈品位と権威〉についての田中さんの感覚に首をかしげるものがあるからだ。角栄さんは「殺すなよっ!」と言ったに違いない。しかし、それが表沙汰になると、品位と権威を傷つける、と田中さんは思い込んだらしい。
だから、「命だけはだめだぞ」に直せと求めた。確かに「殺す」云々はどぎつい表現で、「命」云々に言い換えれば、柔らかくなる。しかし、あの切迫した場面で、「命」云々が殺害を止める効果をあげたかと言えば疑問である。品位と権威の問題ではない。
田中さんの言動には、そうした思い込みとすれ違いが目立っている。外相時代、(1)金正日北朝鮮総書記の長男、金正男が不法入国した際、政治問題化を避け、身元を特定しないまま国外退去処分にした(人質として留置すべきだったのに、と批判が噴き出た)(2)特定の歴史教科書について、「事実をねじ曲げている」と発言した(のちに勉強不足を認めて修正)、などが例証だ。
そんな人物が要職につくと、国益を損なうことが起こりうる。田中さんの文科相就任から十日ほどだが、早くも癖が出ていて、知名度が高いだけになおさら憂慮にたえない。
三日付『朝日新聞』、山田紳さんの政治マンガは、〈「破壊怪獣マキゴン」復活す〉
のキャプションがつき、巨体のマキゴンが「この内閣は矛盾だ」と絶叫しながら、国会、文科省などを踏みつけ、野田さんはかなたにはじき飛ばされている図柄だ。よもやそんなことにはならないように。(サンデー毎日)
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