中国はロシアと2001年に領土密約を結んでいた。ウラジオストックはこうして中国領からロシア領土へ正式に移った。
九月にウラジオストックでAPECが開催され、プーチン大統領と胡錦涛主席は握手した。日本からも野田首相が参加して、胡錦涛と廊下で立ち話。その三日後だかに日本政府が尖閣諸島を国有化したので、胡錦涛はメンツを潰されたという報道もあるが、それはとってつけた解釈だろう。
ここでいきなり脱線するが、直後からの反日運動は、強気の姿勢をみせただけの胡錦涛に対して、習近平が反日抗議行動の指揮をとったことがわかっていたが、青島、長沙、成都、深センなどの暴力デモの背後には周永康(政治局常務委員序列9位、薄煕来の朋友、公安と法制系を牛耳る)がいた(香港誌『開放』十月号)。
閑話休題。中国にとって地政学上、ウラジオストックがもつ意味は大きい。日本海への出口が回復できるからだが、胡錦涛はAPEC出席のため、嘗ての中国領であったウラジオへ出かけたのである。
これは中華思想に照らせば屈辱外交いがいの何者でもない。
なぜか。竹島でAPECが開催され、日本の首相がもし参加したら「売国奴」と言われるだろう。
そう、ウラジオストックは中国領なのである。いや「だった」のである。それがいつしかロシア領に正式に編入されたが、中国の国民には知らされていない。
簡単に歴史をたどれば、清末にロシアの極東シベリアへの侵略が始まり、愛軍条約で黒竜江省の北方を掠め取ったロシアに清朝は譲歩した。
さらに清はフランス、ロシア、英国との間に「天津条約」という不平等条約を締結すると約束し、いったん反故にしたが、怒った列強によって、もっと不平等な条文が羅列された「天津条約」の追加文書(これが北京条約)を押しつけられた。
列強が清におしつけた「北京条約」(1960年)で清の領土だった沿海部の悉くがロシア領に編入された。中国は日本海への出口を失った。
ハバロフスクから軍春、興凱湖,豆満江までの広大な土地がロシアに「奪われた」。これらの面積だけでも40万平方キロ。日本より大きい。
しかし。
ウラジオストックは「五十年後に中国に返還される」と戦後の合意があったという。北京条約は1860年、その後、世界大戦がはさまって1946年に、ときの中華民族政府はスターリンと領土交渉を再開し、全権代表だった宋子文は、スターリンとの間にウラジオストック、大連などの「五十年後の返還」を約束する密約が成立した。大連は返還された。
▼中国では『ウラジオストック』と言ってもわからない
いまも中国ではウラジオストックと言っても通じない。中国語の地名は「海参威(ハイサンウェイ)」。戦前の日本は「浦塩」と書いたが・・・。
そして中国人論客は言う。「(中国国内の)『愛国無罪』の無法者たちよ、反日、反米といって尖閣を奪えと言うのなら、なぜ『ウラジオストックを奪回せよ』」とはいわないのか」。
しかし、「これ以上、ウラジオストックの返還を言わない」とロシアと密約を結んだのは2001年、江沢民政権だった。
正確には2001年7月16日、モスクワを訪問した江沢民は『中ロ善隣友好条約』に署名した。中国は正式に旧領土でロシアに編入された土地の主権を放棄した。
爾来、2004年に中国とロシアは領土問題の解決に終止符を打った。タラバロフ島とウスリー島の中州の半分だけが中国に返還され、三十年つづいた中ロの領土係争に終止符が打たれ、08年に正式に発効するや、露西亜国境のアムール川を挟んだ中国側の寂しい都市、三江から撫遠にかけての県、鎮、村々にはぴかぴかの摩天楼が林立する有様となった。
尖閣諸島はしかしながら領土交渉の対象ではない。日本固有の領土であり、国際法に照らしても歴史的経緯からも明らかなのに、北京が「あれは中国領土」と言い張るのは、逆にロシアとの密約がばれて批判が起きるのをすり替えている可能性がなきにしもあらず、だろう。
杜父魚文庫
10734 ウラジオストックは中国領だった 宮崎正弘

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