馬暁天(総参謀部副部長)が空軍司令員に昇格、次の軍事委入りは確実。中国軍事動向は人事に注目、大幅な若返りが行われる可能性。
10月23日、中国は次の空軍司令員(空軍のトップ)に馬暁天・大将(副総参謀長)を昇格させると発表した。これで馬が次期党軍事委員会のメンバー入りが確実となった。
軍事委員会は胡錦涛(主席)と習近平(副主席)が居残り、のこり十名が軍人から選ばれる。
副主席に軍人プロパーから二名、このトップ二人は政治局員を兼ねる(現在は徐才厚と郭伯雄)。つぎに各総部(総政治部、総参謀部、総装備部、総後勤部)から四人と国防大臣。この列に戦略ミサイル軍、海軍、陸軍から各一人、合計12名で構成される。
派閥的には胡錦涛派が四名、江沢民派も四名、習近平派二名の構成になると予想され、胡錦涛が暫時「軍事委主任」に居残って「院政」を敷く態勢となっているため、総合的には胡錦涛派が5,江沢民派が4,習近平派が3,合計12名の新しい軍事委員会の陣容となるだろう。
もとより馬暁天は軍のなかにあっても注目株で、劉少奇の息子の劉源、張震の息子の張海陽とともに09年に大将を拝命した経緯があって、「三人組」とも呼ばれたことがある。
また日本の防衛省とも人脈があり、「日中防衛当局協議会」では中国側メンバーを二回つとめ、2011年には来日している。
この日中防衛当局協議会は、米中軍事交流に匹敵する両国の軍事交流の一環だが、当初は熊光偕(対日強硬論で有名だった)が六回連続つとめ、章泌生にバトンタッチした。
章はライジングスターと見られた時期があったが、人民解放軍の「国軍化」論をぶったため主流から外された(一説に酒の席で上層部にからんで不興を買ったともいう)。
「三人組」の劉源と張海陽は薄煕来事件に連座して、胡錦涛に睨まれ、「次の軍事委員会入りは見送られるだろう」という予測が有力となった。
▼馬暁天の昇格で、大幅な若返りが予測される
さて馬暁天(63歳)はいかなる軍人か。
河南省生まれの馬が総参謀部副部長までの道のりは長く16歳未満でもぐり入隊、22歳で空軍パイロット、25歳で中国空軍ではもっとも若く飛行部隊副隊長をつとめた。45歳で空軍参謀長、46歳で空軍少将に昇格した。
その後は広東軍区参謀長、49歳のときにはスホイ30ジェット戦闘機に自ら乗り込んで操縦した。同年蘭州軍区司令員、翌年に中将に昇格した。南京軍区司令員のあと国防大学校長、16,17大会で中央委員。そして09年に大将に任命され、世界的な注目をあびていた。
なお馬の昇格により、前任の許斯亮(空軍司令員)が軍事委員会「副主任」に昇格する可能性が残る。とはいえ軍の不文律は67歳なら軍事委員会入り可能、68歳以上なら引退。
馬暁天の空軍司令員任命による玉突き人事で、新しく副総参謀長になったのは王冠中(黒竜江省出身、59歳)。
王冠中は17歳で入隊し、37歳で瀋陽軍管区政治部副主任、以後、中央弁公庁に勤務し、07年に主任、中将に昇格した。
また空軍政治委員には田修思が就任する。
田修思は中越戦争に一年参戦した実戦経験があり、18歳で軍人となった典型の軍国少年あがり。ながく新彊ウィグルの火砲部隊にいて、軍隊の宣伝畑を歩み、35歳で蘭州軍区偵察部隊副政治委員。中越戦争に従軍し徐才厚(当時、副参謀長)に目をかけられた。
以後、各軍区で政治部副主任を歴任後、少将に昇格、2004年に新彊ウィグル軍区政治委員、中将。17大会から中央委員。行動は迅速、思想は穏健で軍の実力を発揮したといわれる。
成都軍管区政治委員のおりに四川省大地震に遭遇し、救援部隊の指揮を執った。この実績により12年7月に大将を拝命した。党大会直前、軍の人事異動はこれから続く。
杜父魚文庫
10812 中国軍事動向は大幅な若返りか 宮崎正弘

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