橋下徹大阪市長と『週刊朝日』の争いは、『週朝』側が即刻謝罪して幕引きになった。あとは橋下さんのケンカ上手が話題になったくらいである。
しかし、釈然としない。『週朝』は橋下さんの緊急連載をスタートさせた翌週、十一月二日号の冒頭二ページを割いて、河畠大四編集長名の〈おわびします〉の一文を載せた。橋下さん側が要求したのかどうかは知らないが、こんな破格の扱いをした謝罪文を見るのは初めてだ。
〈本誌10月26日号の緊急連載「ハシシタ 奴の本性」で、同和地区を特定するなど極めて不適切な記述を複数掲載してしまいました。タイトルも適切ではありませんでした。このため、18日におわびのコメントを発表し、19日に連載の中止を決めました。橋下徹・大阪市長をはじめ、……〉と全面降伏である。
だが、事実関係が間違っていたと詫びたのではない。記述が不適切だったと反省している。橋下さんも、記者会見(十八日)で、
「僕の人格を否定する根拠として、先祖や縁戚、DNAを挙げて過去を暴き出していくのは公人として認められない」
と批判しているように、事実関係を争っているのではなく、筆者のノンフィクション作家、佐野眞一さんんと『週朝』の執筆態度が許せないと抗議しているのだ。
これが今回の争いの特徴である。事実でないことを事実のように書けば、訂正を要求するか、名誉毀損で損害賠償を求めればいい。
最近の例で言えば、民主党の仙谷由人衆院議員が官房長官だったころ、『週刊新潮』の記事(〈黒い人脈〉との因縁がある、などの記述)が事実と違い名誉を傷つけたとして新潮社に一千万円の損害賠償を求めた訴訟で、十月十六日、最高裁第三小法廷は三百三十万円の支払いを命じる決定をした。仙谷さんの勝ちだ。
今回はそれと違う。事実関係はともかくとして、橋下さんのプライバシー権を犯した疑いが濃い。プライバシー権とは、私生活や私事に属する事項について、他人の干渉やのぞき見から保護を受ける権利のことだ。
最近の週刊誌報道は、プライバシー権の侵害か侵害すれすれの記事が一段と目立つようになった。特に著名人や政治家の女性問題をスキャンダル仕立てで書くケースで増えている。橋下さんも先日、女性問題を記事にされ、上手に切り抜けた(奥さんは怒っているらしく、橋下さんの街頭演説ではそれを逆にネタにしているが)。
◇私生活おびやかす暴露主義とのぞき見趣味
だが、個人の男女関係はプライバシーである。たとえ女性側が秘事をしゃべったとしても、犯罪性でもないかぎり、記事にすべきではない。某有力政治家が写真つきで女性問題を週刊誌に暴露された時、その政治家は、
「事実無根だ」と言い張ったので、私は、
「事実関係で争うのはやめたほうがいい。記事を見た人はだれでも本当だと思っている。プライバシー権の侵害で裁判を起こしたらどうか。そうでないと、同じように痛い目にあう人があとをたたない」とすすめたが、政治家は、
「いやあ」と尻ごみした。裁判を通じて醜聞がさらに広がるのを恐れたのだ。
橋下さんも謝罪と連載中止によって処理をするのでなく、プライバシーの侵害事件として裁判に訴えるべきだった。週刊誌ジャーナリズムのあり方を考えるまたとない機会なのに、残念である。
日本で初のプライバシー事件として注目を浴びたのは、三島由紀夫の小説『宴のあと』をめぐる訴訟だった。訴えを起こしたのは有田八郎元外相である。
有田は一九五九年、社会党に推されて東京都知事選に出馬したが、妻の畔上輝井(料亭〈般若苑〉の女主人)の献身的な応援にもかかわらず惜敗した。三島は有田夫妻をモデルにした『宴のあと』を六〇年一月号から『中央公論』に連載する。作中、夫妻の寝室シーンや夫の暴力ざたなどが描写された。
有田は三島と中央公論社に単行本としての出版中止を申し入れたが、三島は応ぜず、出版元を新潮社に変更して刊行した。有田は三島と新潮社に謝罪広告と慰謝料を求めて提訴、東京地裁は六四年九月の判決でプライバシー権の侵害と認定、有田が勝っている。三島はすぐに控訴したが、有田が死亡、和解になった。
この裁判をきっかけに、〈プライバシー〉が流行語になる。しかし、判決から約半世紀が経過しているが、プライバシー権の侵害を正面から争った裁判はほとんどなかった。事実であっても、私生活を一方的に暴露するのは許されない。当然だが、権利を主張することなく、ほとぼりがさめるのを待つ風潮が支配的になっている。
一方で、週刊誌が増え、インターネットが行き渡ることによって、安易な暴露主義と過剰なのぞき見趣味が、個人の私生活をおびやかすケースが増えてきた。放置していいわけがない。
プライバシー権の主張には、公人の立場、表現の自由などとの兼ね合いがある。アナーキストの大杉栄を主人公にした映画「エロス+虐殺」で、大杉と愛人関係だった婦人運動家の神近市子が、プライバシーを侵されたとして上映差し止めの訴えを起こしたことがあったが、一九七〇年三月、東京地裁は、
「プライバシーの侵害の違法性も、表現の自由との比較衡量ないし価値選択の問題であり、違法性があると断定できない」と退けた。線引きがむずかしいが、線は引かなければならない。
私も仕事柄、週刊誌が政治家の女性関係を暴けば、いそいそと買いにいって読む。恥ずかしながら、半分はのぞき見趣味だ。しかし、それによって、首相を辞めたり、大臣を首になったりした。自殺の悲劇まで起きている。活字の暴力ではないのか。
プライバシーに踏み込む許容範囲をどこに引くのか。ルールづくりが必要だ。弁護士で世直しを標榜する橋下さんは、それにひと役買うべきではなかったのか。(サンデー毎日)
杜父魚文庫
10885 橋下市長は裁判をすべきだった 岩見隆夫

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