アメリカ政府が尖閣諸島の主権をどうみていたか、の続きです。
<<大統領執務室で何が語られていたのか?「尖閣は日本領」と認めていたニクソン政権>>
キッシンジャー 「大統領、今回の展開も、官僚たちがきちんと報告をしないがために、支障が起きるというような実例の1つです。彼らはそんな問題があることなど、まったく告げていなかったのです。率直に言って、私は(台湾側が抗議してくるまで)そんな島の存在さえ知りませんでした」
ニクソン 「私も知らなかった」
キッシンジャー 「台湾代表が面会に来るまでは、ですね」
ニクソン 「そのとおり、彼がその島に触れたのだ」
キッシンジャー 「それで調べてみると、台湾がかつて日本に併合されたとき、尖閣諸島は沖縄県に編入されたことが分か りました。
1945年に台湾が中国に返されても、尖閣諸島は沖縄側に残されました。1951年には尖閣は対日講和条約の一部に含まれ、日本の沖縄に対する 日本の残存主権は米国によって認められました。
(尖閣は沖縄に含まれて、その主権に関する)大きな決定がそこで下され、この(1971年)4月に中国(台湾)が突然、問題を提起するまでは、尖閣諸島に 関しては一切、なんの特別な交渉もなかったのです。
この時点では尖閣諸島はすでに日本に返還される沖縄に自動的に含まれ、米側の手をも離れてしまったので す。これが私が再現できる(尖閣についての)歴史です」
ピーターソン 「この(尖閣)問題は日本にとってどれほど重要でしょうか。あなたがいままで知らなかったのだから、(もし尖閣の主権について米側が態度を変えれば)何が起きるのか。この問題は本当に緊急の重要性があるのでしょうか」
キッシンジャー 「もし6カ月前に提起されていたら、いくらかは違うかもしれない。しかし、もしいま(尖閣主権を改め て)提起したら、沖縄返還協定を破壊する意図的な試みとして(日本側に)映るでしょう。
米国がもしこの問題を提起するとすれば、もっとずっと早くに提起す べきだった。いまとなっては尖閣の主権は戦争でも起きない限り、日本に戻ることになるのです」
キッシンジャー 「さらに歴史をたどるならば、琉球列島米国民政府の唯一の当事者だった米国は1953年にその統治の具体的な境界線を改めて発表し、その中には尖閣諸島も含めていました。その線引きに対し中国側は抗議をしませんでした」(つづく)
杜父魚文庫
10900 ニクソン大統領「尖閣なんて知らなかった」 古森義久

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