10903 仙谷とスーチーの「会談」 岩見隆夫

いま、ミャンマーが面白い。
「アジア最後のフロンティア(広い可能性を秘めた地域)」と呼ばれ、企業進出競争で日米中韓がシノギを削る。人口5400万人、国土は日本の1・8倍。最近は宗教対立も深刻だが、とにかく旧ビルマが生まれ変わろうとしているのだ。
古い世代は、太平洋戦争末期を描いた竹山道雄の名作「ビルマの竪琴」(1948年刊)が忘れ難いが、次第に知る人も少ない。
ところで、10月16日、民主党の仙谷由人副代表(元官房長官)がミャンマーの首都ネピドーで、民主化運動の指導者、アウンサンスーチー女史と会談した。30分の予定が100分に及んだ。
今年3度目のミャンマー入り。あわただしい国内政局の合間を縫っての対アジア議員外交である。一昨年と昨年はベトナムだった。
仙谷・スーチーの会談メモを読むと、なかなか、職業外交官ではこうはいかない。たとえば−−
 仙「私の妻を含めて、日本の女性はスーチーさんにあこがれている者が多くおります」
 ス「男性はいかがですか」
 仙「男性も大変人気があると思います」
 仙「なでしこジャパンって、ご存じですか」
 ス「ナデシコ?」
 仙「女子サッカーのワールドカップで去年の7月、優勝したんです」
 ス「存じています。ナデシコという名前は知らなかったです」
 仙「やまとなでしこ、から来ています。優勝して帰ってきた時に、彼女たちに国民栄誉賞を渡しました。その時の副賞と同じものを持ってきましたので、受け取ってください」
 ス「日本の男子サッカーはなかなか優勝しませんね」
 仙「それは20年後ぐらいでしょ」
 ス「ミャンマーも、アジアの大会で受賞するのは女性のほうが多いんです」
 仙「これは(副賞の)化粧筆です。広島県の田舎で、毛筆用の筆を作る工場が七つ、八つあるんです。それを女性の化粧筆にした。フランスでもイギリスでも大ヒットです」
 ス「……」
 仙「これは京都のにおい袋です」
 ス「どうもありがとうございます」
 仙「こういうものを日本はいま、クールジャパンといって諸外国に持っていっています。繊細に感性で作るのが特徴です。ほとんどが日本の地方の中小企業で作られています」
 ス「議論が終わる前に、ODA(政府開発援助)について一言お願いしたい。ミャンマーに協力するにあたって……」
ほとんどセールスマン・仙谷である。
だが、化粧筆とにおい袋を売り込んだだけではない。仙谷は会談の冒頭、戦前、戦後の日本政治と天皇制を語り、占領、憲法から沖縄基地まで話は及んだ。自身のPRも織り込みながら、さらに成長戦略、山中伸弥教授、ベトナム、インドネシア、ミャンマーへのインフラ提供とぶちまくる。スーチーは、ひたすら、
「国民のためのODAを……」と訴え、ODA論議が延々と続いた。
そんななか、日本という国は、と語りかけながら、仙谷は次の言葉を挟んだ。
「四十数年、野党、反体制の側にいた人間が、いま与党になって3年間なんですが、与党になって改めてガバナンス、統治ということを、自分が責任を持って実行しなければならないということで、大変苦しみ悩んでいます。
今の日本の民主党の姿は、実はその葛藤のなかとお考えいただいていいのかもしれません」
民主党の苦悩を、仙谷は遠くミャンマーの地でも口にした。それほど民主党はきわどい。スーチーから直接の反応はない。
軍事政権によってスーチーが自宅軟禁されたのが89年、それ以来の筋金入りだ。父親はビルマ独立運動の先頭に立ち、反英闘争、抗日戦線を指揮して、47年暗殺された。
仙谷(66歳)とスーチー(67歳)は同じ戦後世代だが、両リーダーが歩んだ道のりは大きく違い、簡単には交差しない。会談の締めくくりで、仙谷が、
「スーチーさんが来年、日本に来るという情報が流れています」と言うと、スーチーは応じた。
「3月末から4月初めを考えています。サクラの咲くころです」
「大歓迎します」
そのころ、日本の政界はどんな姿なのだろう。民主党政権はどこにたどりついているのか。(敬称略)
杜父魚文庫

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