10911 江沢民色を消した「胡錦涛院政」  宮崎正弘

小誌の予想通りに、中国党中央軍事委員会副主任の制服組二人。「胡錦涛院政」へ布石、軍事委員会トップを異例の早さで発表し江沢民色を消した。
「江沢民院政」は終わった。
北京の奥の院=中南海にあった江沢民弁公室が正式に閉鎖されたのが十月下旬。つまり江沢民院政の象徴が閉じられ、軍事委員会からは江沢民派が殆ど引退することが決まった。

ついで次期軍事委員会副主任に予定されていた劉源と張海陽のふたりが薄煕来事件に連座して、昇任されず、ダークホース的な氾長龍(済南軍区司令員)と許其亮(空軍司令員)が制服組トップの座である「副主任」に抜擢された。
小誌の予想通りである。
11月1日から北京の京西賓館で開催されていた「17期7中」(第十七期第七回中央委員会総会)において、胡錦涛の掲げた「科学的発展観」の拡大が承認され、同時に「毛沢東」の色彩が消滅した。
党の次期トップ人事は、この会議で調整され、つぎに8日から予定される第十八回党大会最終日の翌日に開催される「18期1中」で承認を得た後に発表される。
ということは正式の日程を経ずに次の軍事委員会制服組のトップが発表されたことは極めて異例だが、薄煕来事件がガタガタに揺らいだ党の安定を図る目的と、ならびに胡錦涛院政への揺るがぬ事前工作の意味が含まれている。
北京は既に厳戒態勢にあり、町内会に自警団を組織させるなど北京五輪の警戒態勢ぶり。
さて軍人制服組トップに立つ許其亮と氾長龍について、前者は空軍のトップで、機械化、装備ならびに軍のハイテクに力量を発揮した経歴が買われたうえ、胡錦涛派である。
もうひとりの氾長龍はいかなる人物なのか。
氾は1947年生まれ、65歳。漢族。遼寧省丹東出身で22歳で入隊、同時に入党。党中央大学卒業。現在は済南軍区司令員、陸軍大将。党中央委員を兼務している。
1969年に陸軍第16集団砲兵、班長、支隊長を務めた。73年に第16集団政治組織幹部となり、76年に副団長、79年同参謀長、82年に団長、85年同参謀長、90年に陸軍第16集団46師団師長(師団長)。93年に同三部雄蝶、95年軍長となって地道に現場一筋。政治的な色合いが薄く、ひたすら軍務を勤め上げた。
2000年に瀋陽軍区参謀長。このポストは北朝鮮対策の軍事オペレーションの要であり、この座を大過なく務めると次の出世の糸口を掴める。氾長龍は03年に中央への抜擢を受け総参謀長助理、そして2004から済南軍区司令員。同時に中央委員となった。
政治的に中立。
これで次期軍事委員会トップは胡錦涛が主任の座に居座り、副主任トップに習近平。そして制服組の二人が加わる。残り八人はすでに小誌が既報しているが、国防相、四大総部(政治部、参謀部、後勤部、装備部)に陸海空、戦略ミサイル軍から選ばれる。
杜父魚文庫

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