10933 書評「第二次尖閣戦争」  宮崎正弘

そうだったのか。中国人の行動様式は白アリなのか。土台を食い尽くし他人の家を壊して知らん顔の自己愛主義。
<<西尾幹二、青木直人『第二次尖閣戦争』(祥伝社新書)>>
或る会合の帰り、西尾さんからいただいた本書を、翌朝、羽田発熊本行きの全日空機機内で拡げた。飛行時間一時間30分ほど。睡魔が吹き飛んで一気に読み終えると機体は熊本空港に着陸した。まさに時宜を得た内容に溢れ、面白く、且つ有益だった。
議論は多岐にわたり、もちろん尖閣問題のことが俎上にのっているが、西尾氏が大きく取り上げているのは満州問題である。
つまり日中の対立は満州事変の延長にあるという歴史認識を前提にして論議が展開されている。石原莞爾と同期生だった長野朗は、戦前に多くのシナ研究の書物を著し、いずれもベストセラーになった。
長野朗は或る著作のなかで「満州事変前の漢民族の満州侵略」をいうチャプターを設け、現在の東北三省(旧満州)は、もとより漢族の土地ではなく、「漢民族が侵略した土地」という歴史の真実を問うた。
日本がでていく以前「清朝の時代に大勢は決していた」のであり、「蒙古人、朝鮮人、ロシア人、日本人が入ってくる前に、漢民族は白アリが建物の土台を食い尽くすように満州の台地に入り込んで、住み着いて、支配階級であった満州人を圧迫し、事実上そこを左右していた」
シナ人は「生存するためには何でもする生命力を持っていて、利己的で、愛国心のかけらもないのだけれども、漢人として不思議な集合意思を持っていた。いまの中国人と同じです」(西尾)。
すなわち「不思議な集合意思」とは「白アリ軍団のようなわけのわからぬ集合意思」だ、と西尾氏は本質を抉る。
「膨張し拡大する白アリ軍団の進出には、理屈も何もないので、いわば盲目の意思があるのみである。満州事変は終わっていない」と続けるのである。
評者(宮崎正弘)もかねてから主張してきたように、中国には「戦略がない」。あるのは、個人の、あるいは企業連合の、あるいは陸軍の、海軍の、総参謀本部の、それぞれの戦略らしきものがあるが、国家としての整合された国家意思がない。
だから軍人タカ派は「尖閣を上陸して乗っ取れ」と獅子吼し、或る政治グループは「小日本など問題にするか」と唱え、太子党の大半は「日本から絞るだけ絞って儲ければ良い」と嘯く。
レアアースが金になると言えば群がり、風力発電に補助金がつくといえば群がり、皆が反日だと言えば便乗して強盗、略奪をはたらく。まさに白アリ軍団であり、いやイナゴの大群であり、その瞬発的破壊力を前にしてはなす術もないのが、現実である。
共産党ですら群衆の蜂起、暴動には対応しきれず、自らが白アリであるにもかかわらず、他の白アリ軍団の通過を待つという具合なのだ。
尖閣戦争の論議はシナ人の本質を抉るところへ発展し、西尾氏の対談相手の青木氏は、その具体的データをずらりと本書でも開陳している。
杜父魚文庫

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