石原慎太郎さんの政治歴は44年になる。この間、まったく一人だけの特異なコースを歩んできた。
1968(昭和43)年夏、参院全国区に石原さんは自民党から初出馬するのだが、この時、最初に相談したのは、財界の政治部長といわれた八幡製鉄の藤井丙午さんである。
「いやこれはありがたい。佐藤(栄作)総理が聞いたら喜ぶでしょう。私からさっそく伝えましょう」と藤井さんは快諾、同じ作家出身の今東光さんも全国区に立候補の予定だと言い、
「なに、お二人は決して競合はしませんよ。タイプも違いますし、二人とも必ず当選します」と保証したという。
石原さん35歳、私は駆け出しの政治記者だった。新宿駅頭で、慎太郎刈りに純白のブレザーコートを羽織り、選挙カーの屋根に片足をあげた意表をつく演説スタイルをよく覚えている。そばに応援弁士の中曽根康弘さんが立っていた。
結果は301万票の大量得票によるトップ当選だった。のちに石原さんはこの時の感慨を、
〈私というオデッセイの魔の海への船旅はようやく始まった〉と『国家なる幻影─わが政治への反回想』(文藝春秋・99年刊)という本に書いている。オデッセイはギリシャの詩人、ホメロスの作と伝えられる長編叙事詩だ。
そして、石原さんの長い船旅は〈最後のご奉公〉までたどりついた。10月25日、東京都庁七階の記者会見室に現れると、口を開くなり、
「今日をもって、知事を辞職することにいたしました」と述べたのである。とっさに、似たセリフを以前も聞いたな、と思った。あの時も、人々を驚かせた。意表をつくパフォーマンスが好きな人だ。
1995(平成7)年4月、石原さんは議員在職25年の表彰を受ける。衆院本会議場の壇上に立った石原さんは、答礼の演説をするのかと思ったら、違っていた。
「……すべての政党、ほとんどの政治家は、今はただいかに自らの身を保つかという、もっとも利己的でいやしい、保身の目的のためにしか働いていません。こうした政治の現況に国民がもはや軽蔑を通りこし、期待し裏切られることにも飽いて、ただ無関心にすぎているという状況は、政治の本質的危機としかいいようがありません。……」
などと弾劾演説に終始し、本会議場はあっけにとられたのだ。
「その故をもって、私は今日この限りにおいて国会議員を辞職させていただきます」と締めくくった。前夜、親しい仲間の亀井静香さん、平沼赳夫さんの二人だけには、他言無用と念を押して打ち明けたという。17年後、今回の新党結成も、役者は同じである。
◇肝心なのは本人のパワー 色気、ツヤ、華がほしい
だが、突然の議員辞職の理由がわからない。衆院に転じ(72年)、青嵐会の旗揚げに参画(73年)、東京都知事選に挑戦したが敗れ(75年)、環境庁長官(76年)、運輸相(87年)を歴任、自民党総裁選にも名乗りを上げている(89年)。つまり、有力議員として活躍を続けてきたのに、なぜ永年勤続のお祝いの日に抗議辞職なのか。
そのころ、石原さんの兄貴分だったミッチーこと渡辺美智雄さんに理由を尋ねたことがある。
「ああ、それははっきりしている。中央政界にいたんでは首相になれそうにないから、見切りをつけて、都知事を目指すことにしたんだよ。都知事を足場に、トップを狙うんじゃねえか。簡単じゃあないと思うがね」とミッチーは明快だった。その通りの展開になった。
まず首都を制し次は国を制する、という石原戦略だという。それならもう少し早く国政復帰すべきだったのではないかと思うが、ずるずると都知事4期13年をつとめるうちに、80歳の高齢になった。
都知事の初当選は99年4月、当時の首相は小渕恵三さんである。以後、野田佳彦現首相まで9人、全員石原さんより若い。うち4人は戦後生まれ、首相の世代交代が進んだのだ。長男の伸晃さん(55歳)が自民党総裁選に出馬、首相を目指したのだから、親子が同時期トップを狙うということなのか。
新党結成の記者会見では、
「まさしく80歳。なんでオレがやらないといけないの。若いヤツももっとしっかりしろよ」と檄を飛ばしたり、
「私が総理になることはまったくありませんから」と首相願望を否定してみせた。
しかし、私は、石原さんがたとえ短期間でも首相のイスに座り、号令を掛ける姿を思い描いていると思う。44年前、政界入りを決意した時のことを、
〈物書きとして世の中に出てからちょうど10年にもなってしまったという感慨だった。「今さらなんでそんなことをするのか」と心配して質す相手に「自分には物を書くという方法だけでは体の内に余ってしまうものがあるのだ」と言ったのを覚えている〉(『国家なる幻影』)
と書いた。〈余ってしまうもの〉の到達点が首相ポストであることは容易に想像できる。
「伸晃さんが自民党総裁に選ばれていたら、知事辞職も新党も思い留まっていたはずだ」という話も何人かから聞いた。そうかもしれない。ファミリー事情が前面に出てくるのは釈然としないが、かりに伸晃登板があるとしても、先送りされた。
野望が消えていないと感じたのは、石原さんが第三極の大結集を呼びかけた時だった。政権奪取を狙っているからこその大結集である。狙う以上は首相候補がはっきりしていなければ、有権者はついていきようがない。
しかし、そんなことより、もっとも肝心なのは石原さんのパワーである。体力、気力も心配だが、それだけでなく、一国のトップには、色気、ツヤ、華がほしい。加齢と老化は違うという見方もあるらしいが、なかなかそうはいかない。(サンデー毎日)
杜父魚文庫
10945 石原さんの首相願望、続いている 岩見隆夫

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